やっぱり、フェデラーだった。ベスト16が決まったあたりから、フェデラーの相手となるような選手が見当たらなかったもの。
「オーラがない。」って言う人もいる。確かにテニスをしていないフェデラーはそうかもしれない。好きな女優は?って訊かれて「シャロン・ストーン」なんて答えるし。同じくオーラがない、って言われていたチャンピオンが、ピート・サンプラス。試合前の練習で、ボールを拾ってあげたことがある。はい、って渡してあげた。ごく普通のYankeeの印象。
フェデラーのプレーにはオーラがある。背中がゾクってくるようなバックハンドのダウンザラインがある。片手打ちのフラット・スピンだからね、おまけに。サンプラスは、プレーにも特に感じるものが私はなくって、絶対的な強さもなかった。崩れるときはガス欠状態で、割とあっさり試合をあきらめていたし。
何かの記事で読んだけど、フェデラーは、ゴルフで言えばタイガー・ウッズのように、普段テニスをしたり、観たりしない層を集客できるのだそうだ。
テニス仲間のJちゃんが、「素人は、ストロークの打ち合いの方を観るのを好むと思う」と発言したらしい。この「素人」っていうのは、テニスをするのも観るのも初心者、っていう意味、この場合は。
いやいや、延々とエンドラインを右へ左へ走り回って、「うわぁ!」「あはぁ!」とかうめき声を上げて打ち合うスポーツを、普通は面白いとは思わない、と思う。テニスをかじり始めた頃は、華麗なサーブ&ボレーの方が、ずっと楽しい。私も、テニスをはじめて1,2年の頃は、「ウィンブルドン」が一番好きな大会だった。無謀にも、サーブを打ったら前に走り出してたし(-_-;)
テニスを続けて、ラリーを続けることの楽しさ、コースを変えることの面白さ、球種を変えることの難しさを覚え始めると、お気に入りのコートは、やるのも観るのも「赤い土」になる。もちろん、大会は「ローラン・ギャロ」。足を滑らせることが出来るようになったときは、うれしかったなぁ。
だから、「ストロークの打ち合いを観るのが好き」と言うJちゃん、もう素人じゃあないんだよ、お互いに。素人に毛の生えたの、って言うんだよ。
フェデラーのテニスは、いろんなプレーのオンパレード(死語か?!)だから、テニスをやらない人もやる人も、惹きつけてしまうんだと思う。それにしても、あんなにいろんなことが出来たら、テニス楽しいだろうなぁ。
ところで、コートサイドで観るんだったら、サーブ&ボレーは最高に迫力がある。エドバーグのそれは、まるで曲芸みたいだった。
※サンプラスもエドバーグも、大阪府立体育館で毎年やってた「グンゼワールドテニス」で生で観た。バブルがはじけたら、あの大会、いつのまにかなくなちゃったなぁ...
29 January, 2006
junco
いらっしゃいませ、
近所に「アリアンス・フランセーズ」があることが分かって、4月からフランス語の勉強に再挑戦しようと思っている。フランス語は、大学時代に文法と仏文読解っていうのをやって、社会人になってから、2年半ほど語学学校に通った。10年ちょっと前、フランスに旅行する前に、「Survive in France」という過激な?タイトルの旅行本で再復習、それ以来になる。
不安というのは特にはない。タイトルにあるように、まず自分の脳年齢にあわせて無理なく行ければ、と思っている。
語学といえば、一番長く付き合っているのはやはり、英語。小学生高学年の頃に、洋楽に触れ始めるようになったのが実は大きな理由なのだけれど、中学・高校の英語は、積極的に勉強した方だった。
中学のときの勉強方法は、教科書の丸暗記。それも、読んで書いて覚える。歌から英語に入ったから、大きな声で教科書を読むのが好きだった。実に下らない内容なのだけれど、アメリカやイギリスのミュージシャンの発音を真似て、その気になっていたものだった。
丸暗記、というのは頭が柔らかい時期には、悪い勉強方ではないと思う。口に出して、ノートに書いて覚えていくうちに、感覚的に、
「He drink too many.」とか、「They arrives in the station on 8:00」とかは変だ。
というのを身につけていく。
高校時代も、大体このやり方で、英文法であろうが英文解釈であろうが、テキストや参考書を丸覚えしていく。「英語の構文150」っていうベストセラー参考書も、ほとんど構文を暗記した覚えがある。
抜けていたのはヒアリングとスピーキングだった。中学・高校の英語教師たちの発音はひどいものだったから、私の聞くネイティヴの発音は、ほんまに歌か、洋楽番組のミュージシャンのインタビューぐらい。うちのテレビは二ヶ国語放送対応でなかったし...それでもって、外人さんとおしゃべりをする環境が全くない。高校時代、英会話に通っている同級生が羨ましかった。親に言ったら「受験と関係ない。」って言われて、まあ確かにそうなのです。英会話に通っていた友人たちは志望校に入れなかったり、スチュワーデスの試験に落ちたりしていた。
大学に入って、今度は親から「就職のため」と、英会話学校を進められた。実際に通い始めて、これはこの後社会人になってからの英会話学校通いでも感じたことなのだけれど、英会話学校では「しゃべることに若干の抵抗はなくなるが、英語の総合力はアップしない。むしろ後退する。」
もちろん、英会話学校に行きながら、きちんと系統だった文法の勉強をしたりリスニングの勉強をしたりすれば話は別だけれど、ちゃんと英語を教える、という能力を持たない単なる「英語が母国語」の人たちとフリートークで時間を過ごすだけなら、確実に英語力は下がる。まあ、これはもちろん私の個人的な経験による感覚によるものなのだけれど。
英会話にも通わず、特別試験のための勉強をしていたわけでもないのに、あるとき英語をしゃべる状況に置かれたとき、すらすらと話ができるようになった時期があった。
それは多分、学生の頃に文法・構文を地道に勉強してきたこと、仕事である時期無味乾燥な英文レポートを書き続けた時期があったこと、ブロークンな英語でとにかくけんか腰に英語しか話さない奴らと仕事をしたこと、そしてなにより、日本語で自分の考えや意思・意向を、論理立てて話せるような年齢になっていたこと、がうまく統合された時期であったのだと思う。それを、支える脳年齢も若かったし。
そんな自分の英語との歴史みたいなものを思い出して、フランス語と取り組もうと思う。まあ、まずモチベーションの維持が大事。ポルトガル語はまったくモチベーションなかったもんなぁー。英語にしたって、それを駆使して仕事がしたいとか、そんな気持ちがないので、天井で頭を打ってる状態。まあ、突き抜ける根性もないが。
語学は目的ではなく、ツールである、っていうのもあるけれど、まず「自己」である、っていうことも最近よく感じる。自分の国の言葉で、意思を伝える話が出来る、文章が書ける、っていう鍛錬を日常続けることが、他国語をやるとき生かされてくるようにも思う。
年末年始、特に年始に寝込んだこともあって、ビデオやテレビをトドのように転がって観る。
映画はずっとお友だちだった。
映画館に行くお金がなかった中・高校時代は、映画雑誌だけで映像を「創造」した(想像ではない。我ながらすごい)。
映画館に行くお金が少しできた大学時代は、名画座に通った。ちょっと前の映画や、ずいぶん前の映画を2本立てとか、3本立てで400円~800円ぐらいで見ることが出来る場所。「大毎地下」「毎日文化ホール」「キリン会館」「三越劇場」なんかによく行ったなあ。大作ではないけれど、みたいなアメリカ映画が多かったかも。
バブル時代は、試写会がほとんど毎日どこかでやっていたような気がする。
90年中盤~後半になって、ピタっとハリウッド映画を観なくなり、アジア映画やヨーロッパ映画ばかり観てた。ミニシアターにもよくいったっけ。好きだったのは、「シネマ・アルゴ」「シネヌーヴォ梅田」「国名小劇場」...
映画館に行かなくなって、ビデオもDVDも観なくなったのは一人暮らしを初めての頃だから、4年ぐらい前。マンションにビデオをあえて持っていかず、Wowowも解約した。「そんな時間はない」 いろいろな事情があって、覚悟みたいなものが必要だったから。
それから、ずーっと映画なしの生活が続いているけれど、やっと最近DVDを借りてきてちょこちょこ観る余裕が出来てきた。こだわりみたいなものは今はないし、どちらかというと「ない」スタンスで観たいと思うようになった。
で、年末年始のラインナップ
スペース・ジャム | バスケットボールのマイケル・ジョーダンがワーナー・ブラザーズの アニメキャラたちと戯れる、愛すべき小品。 |
ラブ・アクチュアリー | 「フォー・ウェディングス」や「ノッテンヒル」のスタッフで 作った、 キュートな群像劇。 ヒュー・グラントはこの スタッフの映画では「いい人」。 |
欲望 | ミケランジェロ・アントニオーニ監督。 カンヌのパルム・ドール受賞。 原題は「Blowup」 (写真の引き伸ばしの意)。昔読んだミステリー 小説の中で、登場人物の女が、写真家が引き伸ばして行く過程は、 性的な比喩だ、とかなんとか言ってたのがどうも印象に 残っていた。 |
幻の湖 | 文字通り、幻の迷作。一人で観てはいけない.... |
大統領の陰謀 | 衛星放送で観た。ウォータゲート事件に始まる、 ニクソン大統領の陰謀 を暴く記者を描いた。最近、 ニュースソースの「ディープスロート」が、 「あれは僕です」と名乗り出る。 |
ホント、取り止めがない。でも、この流れでしばらく行こうと思ってる。
ところで、最後の「大統領の陰謀」。確か「毎日文化ホール」で観た記憶がある。良くも悪くも、アメリカの影響を燦燦と受けてきた世代に属する私。何かのドキュメンタリで、確か司法委員会かなにかで、ニクソンは有罪か無罪か?という質問に、一人一人がマイクに向かって、「Guilty」「Not Guilty」と言っていくシーンを覚えている。本当に辛そうに「Guilty」とマイクに吐き捨てた一人の委員の顔に、アメリカのすごさみたいものを感じた。少なくともあの時は。
いろいろな時代にいた自分を、呼び起こさせてくれる、それも映画、なんだろうな。
junco
January 17, 2007
1999年5月、2002年3月、そして今回の2006年12月、いろいろな季節の台北を旅したことになる。偶然だと思うのだけれど、これらの年にポルトガルにも旅している。
行くたびに、この街は新しい顔を見せる。MRTは、じわじわと増殖を続けている。
街を這いずり回るうちに見失った方向を修正する「すぐれもの」も現れた。「台北101購物中心」、世界一高いビル。いったい、何をすることやら、この国の方々・・・
1999年に初めて訪れた最初の夜に出かけたのが、「饒河街観光夜市」。台北駅から1駅のった「松山」という駅を降りてすぐのところにある。駅から、夜の空にそびえる「101」が見える。「松山」の位置を初めて実感する。
この夜市のいいところは、ひとすじしかない、という点。まっすぐな通りを市の終わりまで行って、戻ってくるだけ。2002年には「士林夜市」「遼寧夜市」に突撃したのだけれど、通りがいろいろありすぎて、さて今どこの筋を通ってどこへ出たのか?がさっぱり把握できない。
スイカの形をした急須を買った陶器屋さんがなくなっていたり、エッグタルトを買ったお菓子やさんが全く変らぬ商品のラインナップだったり、7年前の夜を確かめるように歩く。
今回の旅で気が付いたのだけれど、1回目の旅でどうしてもダメだった「臭豆腐」の匂いがまったく平気。コンビニの煮込み卵の、八角の匂いも無問題。
今回初めて行った夜市は「華西街観光夜市」。龍山寺のホン近くにあったのに、気が付かなかったディープなスポット。この夜市を語るのは、専門のブログなどに任せるとして、いろんな意味で他とは違う夜市、とだけは行っておきたい。大きく違う点は、まず家族連れや若いカップルがあまりいないこと。ガイドブックにも「オトナの夜市」とある。もし、台北を訪ねられる機会があるかたは、一度足を踏み入れることをお薦めします。すでに日本には失われつつある、
やたけた
な世界がそこにある、から。
8 January, 2006
junco
いらっしゃいませ、
元旦早々、扁桃腺を腫らせてしまいましたが、やっと回復。気が付いたら年始休暇は終わっていたけれど、第2弾の連休が今年はあるから、遅れを取り戻すべく楽しまなきゃ、と意気込む今日この頃。
今年は何をしようかなー、なんてこともようやく考えてる。
ちょっと興味を引かれるレンタル暗室をネットで見つけたので、まずは冬の間に行ってみよう。
4月からは、歩いて2分の「フランス」でフランス語をやり直そう。
仕事のプロジェクトが一段落したら、「どーん」と有休を取って○ワ○へ行こう。
Azulの模様替えをしよう(ちょっと、デザイン的にイタくなってきたから...)
「ポートレート」制作を少しずつ始めよう。
お料理もしなくちゃ。
預金額を増やそう。(ん、だんだん生生しくなってきたぞ。)
正月早々、元気であることがどんなにありがたいか身に沁みた。今年一年、とにかくつつがなく、つつがなく。
皆様にとっても、良いとしでありますように。
6 January, 2007
junco
201号室のエッセイ、2つアップしました。
ホテルの外はヨーロッパなんやから(Port-Lisbon-Paris 2006④)
友人たち(Port-Lisbon-Paris 2006⑤)
の2本です。
ブログから入っている方は、http://www008.upp.so-net.ne.jp/asul/ から入って、サイドページの「Room201」から。
まあ、ベタな写真なんですけれど、おなじみ鼎泰豊(本店)の小籠包です。台北に行く前に取り合えず何を食べるか、どの店に行くか、というのは決めておく必要があります。現地に着いて、「なに食べよっか~」なんて悠長なことを言っているヒマがないからです。
で、いつも困るのは、食べる回数には限界がある、ということです。人間は普通、一日3食です。2泊3日の中で何回飯が食えるか?!!
鼎泰豊 → 群香品(共に小籠包が有名な店)→夜市 → 焼餃子(水餃子を焼いたもの。日本のとはちょいと違います。) → 茶芸館 → 刀削麺 → 海鮮レストラン
この間に、故宮博物院だの、101だの、歴史的建造物だの、歴史博物館、総統府などを挟み込み、それでも計画通り、全部食べたぞ。
その割には、けっこうのんびりもしたような気がする。そう、台北市内だけなら、そんなちょうどよいサイズなのだ。
日本より10度は高い気温の中を、似ているようで異なる街並みをそぞろ歩く。パラレルトリップ的快感。
クセになるのだ。
いらっしゃいませ。
2泊3日の台北への旅。これで3度目になる。いつも、2泊か3泊なので、なかなか台北の外に泊まることはできないのだが、台北の街に飽きることはない。7年前、4年前にはなかったものが「どばっ」と出来ていたり、逆にほとんど変ることがないものがたくさんあったりする。あ、あそこも次来たときには行きたいな、という空間をまた残して、何年間かが過ぎていくのだろう、と思う。
えっと、ありきたりだけれど、食べ物写真をちょこちょこ載せていきます。お楽しみにー。
巨大な○○○が...
junco
December 28, 2006
いらっしゃいませ。
ご縁があって、最近よく徳島へ行く。最初のうちは高速バスで行っていたのだけれど、最近は南海電車+フェリーで。これがなかなか素敵。
まず、めったに乗らない南海電車。「諏訪ノ森」「羽衣」「蛸地蔵」...境港線に匹敵しないでもないネーミングの駅が続く。まあ、聞き慣れないだけの新鮮さかもしれない。「雲雀ケ丘花屋敷」だってたいがいだもの。
そう言えば生まれて初めて「キリン」を見たのが「みさき公園」だった。丘の上の小さな遊園地が叙情を誘う。
和歌山に入ると、風景が変る。どう変るって...とにかく変るのだ。和歌山港でフェリーに乗り換える。そして船は行く。
水面はどこまでも滑らかで、時折雲から顔を出す太陽の光を、大事そうにしっかりつかまえて、まるめる。
少しうたたねをすると、いつの間にか四国。いつの日も四国。
この日なぜ、徳島に行ったかは、こちらから。
↓
http://lusofonia.betoku.jp/ (Concierge-リンクページに追加しています!)
December 19, 2006
junco
いらっしゃいませ。
12月14日ですか...いかん、いかん、意識不明状態だった。仕事は混乱状態になるわ、深夜に警告メールがきまくるわ、気温は下がってくるわ。
気を取り直して。
写真表現大学のコースが修了。隔週とはいえ、土曜日の11:00~14:00っていう時間帯は辛かった。ネガを決めてトリミングを決めて、段階露光をして試し焼きをする。そのプロシジャーの中で、ふと「飽き」を感じてしまったり。焼きたいと思うネガがまったくなくなったり。そんな日々が、さて終わるとなると寂しさがふつふつと沸いてくる。その後に、「さて、これから...」が付きまとう。
暗室道具を揃えていない私は、これからまたしばらくモノクロプリントとはお別れ。使いやすいレンタル暗室との出会いもまだない。暗室道具を揃えるか...キッチン?お風呂?化学物質を今のマンションで扱うことに躊躇いはぬぐえない。でも、写真とはそういうものなのだ。それが嫌なら、デジカメで(プリントせずに)、アナログを決して超えることのない画質をながめて過ごせばよいのだから。
んー、まだ6×6のカメラとも出会っていないなー。
さて、お休みが取れた。年末は小籠包まみれ。
そんなこんなで、ちょっと「停留」。久々に立ち寄った「房」で、お店の「じゅんちゃん」と名曲「バスストップ」を口ずさむ。「ユニット組もうか? じゅんとじゅん。」
この店も私の「停留所」だったなあ。これからも、よろしく、です。