今週末はとてもお天気がよかった。土曜日も雲ひとつない空。そんな日は、なかなかベランダから離れられない。ベランダ・ガーデニングをして、洗濯物を干してからも、お花や草木をしばらく眺めたりしていた。でもやっぱり、それはほら、大阪市内のビルの上の青空。お出かけしなくちゃ。
兵庫県立美術館の「ムンク展」へ。緑のあるところへ、って最初思っていたけれど、残念ながらこの美術館の周りにはさほど緑はない。だけど、海があるしな(川みたいだけど)、って思って決定。
ムンクについての私の知識。「北欧の『叫び』男」。ごくごく、平均的な日本人のレベルである。
で、そこには晴れやかな「よろこび」があった。そして、それをその展覧会の観客のほとんどと共有した、ように感じた。
「ムンク」はビッグネームである。しかしながら、そのイメージは一作品に集約されてしまっている。もちろん『叫び』。そのあたりは、同じビッグネームである、ゴッホやピカソとは違う。ある程度の作品数を体験している私たちは、その作品に再会したり、それらの体験した幾つかのパターンに嵌る作品に落ち着きを感じたり、数少ない新しい側面に、小さく「ふうーん」と言ってみたりする。
ムンクの場合、いきなり「装飾画家」という単語に私たちは混乱し、鮮やかな色彩に戸惑い、『叫び』に通じるいくつかのパターンも見出しつつ、新たなこの画家との出会いのよろこびに震えるのである。展示館の中は、今までの展覧会で感じたことのない、人々の高揚感に満ちていたように思う。新しい知識に出会うことがこれほどのよろこびであるのだ、という事実がさらに私の心を満たす。知ったかぶりを振りかざす人は誰もいない。みんな、たくさんの「へぇー!!」を楽しんでいる。
チョコレート工場だなんて、ステキすぎるじゃない!?(チョコレート工場の社員食堂の壁に飾る絵を依頼され、それが現在も飾られているのです。)
で、やっぱりミュージアムショップには「叫び」人形。それもそれで楽しいです。
これだけの作品群を日本に持って来たって本当にすごいことです。これだけ持ってきたことで、初めてムンクを知ることができたのです。その価値を、観た人のほとんどが感じたと思うのだけれど。
ビッグな作品、ビッグなパフォーマーだけがポツンと入ってくることで、狭められる価値感、貼り付けられる先入観、それを打破することはとても大変なことだと思う。でも、本当はみんな打破されたいのだ。
打破されることが嫌な人たちもいるのかもしれないけど、そんな人たちは、そうねえ...ほっときましょう。
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