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Hōkele Malama Columns

親ページが「Residencial Azul」から「Hōkele Malama」に変わったので、このBlogのタイトルも変わりました。渾身の(とまではいかない)Columnページです。

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今度はファドを唄ってみた。 #5 人とは違うということ

いらっしゃいませ、

自分の唄いやすいメロディラインとリズムに慣れて、「ルン」と迎えた徳島ジャズストリート。ところが、数日前に、演奏する店にはマイクが2本しかなく、持込の機材も使えないかも、との情報。2本のマイクは、楽器に使う。つまり、

歌はマイクなし。

げ!でも、がたがた言っても仕方がないのね。

今回のジャズストの反省点は、自分の歌の方に気がいっていて、前回ほど他の人の伴奏に気が回らなかったこと。気が回ってきたのが直前で、そっちの方にすごいドキドキ。今回は、すごく「あがった」。

歌の方は、最初マイクがないことを気にしすぎて、でかい声を出そうとして声が一部ひっくり返る。2番あたりから、店がそんなに大きくないことと、お客さんがざわざわしていないことに気が付いて、通常の唄い方になるよう頑張ってみた。それでも、自然と気張ってるんだろうなあ、ところどころ音程がずれる。でも、大きな拍手をもらえたし、後から「きれいな曲で、うっとりした」っていうお言葉などもいただき、この曲選んでよかったなぁ、って思った。「ファド=暗いはしけ」を、こんな低いレベルでも払拭したい。

ジャズストが終って、しばらくこの歌は唄わないな、って思っていたら、ひょんなことから知っている人たちの前で披露することになった。就職が決まった人を祝っての、そしてまたお別れの曲だったのだが、ジャズストよりもちろんリラックスして歌えたし、この歌の歌詞が、まるで彼女のようだなぁ、って思いながら唄った。初めて歌詞に声が共振したような気がした。

こんな風に、私の「唄ってみた」の日々が一旦終る。唄ってみて初めて、「人それぞれのファド」という意味が分かる。「あれはファドではない」「あの人の唄い方は違う」などの声を聴くことがある(ちょっと違うよなー、っていう固定観念ももちろんある)。プロフェッショナルとして聴衆からお金をもらって唄う人には、聴衆のある種「固定観念」におもねった唄い方や選曲が必要なのかもしれないけれど、Vadioに集まって唄う人々は違う。みんな好きな曲が違う。声が違う。共鳴する部分が違う。自分は誰とも同じではないのだ、っていうのを唄うことを通して、身に感じることができた。そして、そんないろいろなファドをみんな気軽に楽しんでほしいなぁ、とやっぱり思った。もちろん、基本のリズムとか発音はしっかり勉強して。今、ちょこちょこと人に声をかけている。いつか、「Fado Vadio Osaka」みたいな会をやりたい。月に一回ぐらい集まって、飲んで唄って、食べて飲んで(まあ、素人の場合こうなる)。

楽しかったです。みなさんもぜひ。

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今度はファドを唄ってみた。 #4 大きな声じゃなくて

いらっしゃいませ、

さて、「Fado Vadio in Tokyo」は楽しかったし、自分でも満足できるように唄えたのだけれど、次の発表の場「徳島ジャズ・ストリート」まではかなり間がある。その間、失業の手続きをしたりもあったけれど、年内は専業主婦をしながら過ごした。「専業主婦」だって。「専業」っていう言葉自体、今時どうかな、って思うけど。。。考えたら、正社員で勤めている人のほとんどは副業を会社から禁止されているから、「専業」やん。「家のことしかしてません」みたいなニュアンスがあって、少し嫌。でも、少し好き。話がそれました。

東京ではちゃんと出た高音部分が、うまく出なくなった。かといって「張り上げている感じや、むりやり伸ばしていく感じは耳障り」らしい。お腹から「とーん」と出す。その部分が2箇所あって、そこの発音も声を出しにくかったので、裏声を使うことに。

やはり、私自身にも先入観があって、ファドは「どっかーん」っていう感じで唄うのかと思っていた。いわゆる「迫力」っていうやつ。声が大きくなくちゃだめかも、って。

でも、Kに連れられてCasa do Fadoでいろんな人の歌を聴いて思ったのは、みんな「声が大きいわけじゃない」ってことだった。大きく聴こえるのは「ここ、というところの表現が強い」からだ、と感じた。だから、歌によっては、ずーっと同じ声量で唄う人もいる。でもよく聴くと、アクセントの強いところや、やはりサビのところで、「とーん」と声が出る。

「どかーん」でなくて、「とーん」。で、最後は、「うわーん」。

まあ、素人耳なので、お許しを。

とにかく、やたら声を張り上げる人はいない。オペラじゃないわけだし。

で、自分のことに話を戻すと、わたしは「どかーん」にしろ「とーん」にしろ「うわーん」にしろ、声に関してはまだまだ出ないから、自分が気持ちよく唄える唄い方にしよう、って決めた。当日はマイクも入るだろうし。なので、声に余計な力を入れないように、練習をつづけていたのだけれど。。。

(続く)


今度はファドを唄ってみた。 #3 Vadioる。

いらっしゃいませ、

仕事をやめてから、しばらくは身体の中の「何かどす黒いもの」が残ったままだった。からだが少しずつ透明になっていくのと同じテンポで、少しずつ唄いはじめてみる。

もらった音源は「ファド・カスティーソ」という分類のファド。サビがなくて、同じメロディを5、6回繰り返す。唄っている女性は、いろいろとメロディを変えてヴァリエーションをつけている。うーん、お願いだから最初は全部同じように唄ってくれー。やっと歌が身体についてきたのは、2月に入ってからだった。男性歌手が歌っているやつのも聞いて、再びその女性の歌を聞き始めたあたり。まあ、時間がかかりました、私の場合。

去年の11月の「Fado Vadio in Tokyo」は、そんな試行錯誤以前の状態で唄ったので、「とにかく唄った」だけで終った。でも、一番声が出たかもしれない。不思議なもので、「初めて」が一番よかった、っていうことけっこう多くないですか?

「Fado Vadio in Tokyo」は私のほかに、女子大生が2人、サラリーマン男性が一人、バイオリン演奏デュオ、その他3名ほどが唄って、和気藹々とした感じでまったりと過ぎていった。女子大生の一人が歌った「Maria Madarena」がよかったなぁ。なんかすごくファドっぽいの。こういうのって、なんだろう、「素」なんでしょう。練習したからといって出せるものでもない。こういうのにパッタリ出合えるのも、Vadioの醍醐味。

こういうのをもっと気軽に頻繁にしたいなあ。大阪でも唄いたい人を誘うおう、って思った。会場の近くでちょっと学生っぽい打ち上げをやって、東京駅から大阪行きの最終の新幹線に乗った。

どうでもいいけど、もうちょっと東京でゆっくりしたいなぁ。。。

今度はファドを唄ってみた。 #2 アルペジオならば、と

いらっしゃいませ、

唄おうと決めたのが9月の始め頃だったのだけれど、実際に練習を始めたのは10月の始め。1ヶ月が、するするするっと過ぎていっていた。仕事を9月の終わりにやめる予定だったので、怒涛の引継ぎだの、何でまだ私がこの仕事をしてるんだ?だの、まあ体中がドロドロしていた時期だったのもある。また、一度決めた曲が、やっぱりそんなに好きじゃない、っていうのも分かってきて、曲を変えた、っていうのもあった。

実は、最初に決めていた曲は、「Loucura」。まあ、ファドでは有名です。歌詞はめちゃめちゃ暗い。鬱陶しい。だけど曲は美しくて哀愁を帯びており、さらっと歌ったほうがかっこいいなあ、って軽く思って選んでみたものの、けっこう歌詞が難しい。単語のアクセントと小節の切り方の関係も今ひとつわからなかったので、ギターで弾きながら歌ってみた。いやあ、ブンチャ・ブンチャしながら歌えんぞ、って思っていたら、Kが他に何曲かの音源をくれた。

その中の一曲は、伴奏がアルペジオだったので、「これは!」と思って曲換え。曲のタイトルは「Senhora de Monte」、丘の上の女性、つまりは聖母マリア様、聖母マリア様みたいにありがたい方、のことを爽やかに謳った曲で、悪く言えば毒のない曲なのだけれど、「これは『身をよじる』、『恍惚状態に陥る』と思われているファドのパフォーマンスのイメージを覆せるのでは!」と、晩夏の妄想は続く。

11月中旬の、「Fado Vadio in Tokyo」に向けて何とかスタートラインには立つことができたものの、やっぱりアクセントの場所がおかしいだの、ブラジル・ポルトガル語の発音じゃないの、だの、悶々、鬱々としたストレスは付きまとう。でも、口を割りと横開きにすることが多く、普段使わない筋肉が動いてるのは意識できてるんで、ええんちゃうの~、と開き直ってみたりもする。

でも、あれやね、弾き語りって、ギターに歌をあわせるんじゃなくって、歌にギターがつられていくもんなんや。自由やわ。これでいいんかな・・・

(続く)

今度はファドを唄ってみた。 #1 残暑の妄想

いらっしゃいませ、

8月の徳島ジャズストリートが終った(「さあ、ファドを弾いてみよう」参照のこと)。まだまだ、音量は足りないだろうけれども、歌手の人たちからクレームもなく、とにかく自分自身が楽しむことができた。いやあ、ほんと、楽しかった。2月のジャスストに出るかどうかは、その時は分からなかったのだけれど、徳島でヴィオラ(ギター)の人が見つかるまで、練習会のサポートを続けることに。っていうより、毎月徳島に行くことが、その頃の私にはホッとひと息つけるひと時だったのだ。

そんなおり、Kから「東京で『Fado Vadio』をやる。」って聞かされる。「Fado Vadio」っていうのは、ポルトガルのCasa do Fado(ファドが唄われるレストラン)の中でも、「店員・客の区別なく、そこにいる人たちがどんどん前に出て歌っていく「場」」なのだそうで、今回はお店ではないけれど、プロでないけど、ファド唄ってみたい!ていう人でワイワイ歌おう、っていう企画。

1999年に初めてファドを聴いて9年、そう言えばファドを唄ってみたい、とはあまり思ったことがなかった。あの重苦しそうなパフォーマンスが自分にできるとも思わないし、あまりしたいとも思わない。でも、毎月徳島でファドのレッスンをお手伝いしていると、生徒さんたちのファドは重苦しくもなく狂おしくも(?)ない。前にも書いたことがあったけれど、等身大のファドがそこにあった。考えてみれば、暗い曲ばかりでなく、楽しい曲、美しい曲もたくさんある。選びようによっては、「自分のファド」が歌えるかもしれない、と思うようになった。

それと、もうひとつ、考えることがあった。このジャンルの、ボサノヴァやアイリッシュ等に比べて圧倒的に少ない歌い手の数。これはなぜなんだろう。気軽にアマチュアで唄う人すらほとんどいない。私と同じようにファドを唄うことのイメージにある種ネガティブなものを感じている人が少なからずいることも、サワサワと耳に入ってくる。

でも、そんなのつまらない。

そう、そこで「Fado Vadio」。ファドを聴きに行くんじゃなくて、唄いに行く場があって、それぞれの個性にあったファドがそこにあれば、今までの固定観念が覆るんじゃなかろうか。

じゃあ、唄ってみよう。下手でOK。下手なほうがいいかも。「あ、あんなんでいいんや」「あんなんなら私も歌えるかも」レベルが今必要なのだ!裾野を広げるのだ!!と、残暑の妄想が拡大していった。

「私も、出る。。。」

そして、曲選びが始まった。1ヶ月以上かかったかなぁ、最初の一歩を踏み出すまで。

(続く)

今度はファドを唄ってみた。 #0

いらっしゃいませ、

2月22日、徳島ジャズストリートでした。日帰りで行ったのもあって、翌日はぐったり。
しばらく唄わないかなー、って思っていたら、昨日ひょんなことからまた人前で唄いました。
なんだか、ファドらしい話です。(よくわかりませんが。)

ジャズ・ストは、わざわざ私たちのライブを選んで聴きにきてくださった人たちの前で歌う、というそれなりのプレッシャーや不安もあったのですが、逆にほとんどが顔を知らない人たちの前で歌う、という、一種のシチュエーションの中に身をおく、というスタンスが保てた。昨日は知っている人たち、その中の一人の人の旅立ちを祝う、という流れで唄ったので、どちらかというと「素」で唄った感じ。リラックスして唄えたし、歌詞の内容が、歌を送る人にとても合っていたので、自然に気持ちが込められたように思う。

だから、当然歌が、自分自身に対してですが、全然違うように思いました。どちらも同じファドなのだけれど、違う。ひとりひとりの、一回一回ごとのファドがあるのでした。

さて、Rolling Stones好きの私がファドなんぞ唄い始めたか、っていうことを、ちょっとシリーズ書きしたいと思っています。んーと、明日ぐらいから。お楽しみに(楽しくないか)

では。

中崎町から徳島へ

いらっしゃいませ、

先月・今月と、大阪でひとイベント終ったその足で徳島、っていうのが続く。今回は船。
中崎町から(和歌山港まで行って)船に乗って、徳島に着いた♪

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※ 中崎町 Tina Lenteで、ひそかに見つかる「ポルトガル」。
(もちろん、「ひそかに」ではなく注文すればちゃんと飲めますが...)





その日の朝は、徳島は初雪だったらしい。翌日目が覚めると、今までで一番かと思われる眉山の美しさ(未だにIMEは”びざん”をちゃんと変換してくれない。)。空の広い徳島の田園の中でちょっとしたイベントがあり、ファドの伴奏をお手伝いする。初めてインスト曲弾いた。びびったけど。この曲、よく伴奏の人が「走る」のだけれど、これだけコード換えの多い曲でハイスピードで弾ける人は逆にすごい。

そのあと、いつもの「徳島ファド教室」なのだが、この「いつもの」が続くも続いた2年半。継続というのはすごい。今回は私が初めて弾く曲を合わせたり、2月の徳島ジャズ・ストリートの曲順を決める。考えたら11月のFado Vadio以来あまり練習する余裕がなかった。最近というか、元々の私の傾向なのか、過ぎて行ったいろいろなことがらが「もやもやとした衣の中」にくるまって固まってしまうことがある。9月までの生活がそんな感じ。それからゆっくり過ぎたはずの秋の日々も、新しい衣をつくりつつある。なんか、卵や繭みたいだ。でも、過去の衣から新たに何かが生れることはない。っていうことは...、あ、ご飯食べてる人もいるかもしれないからやめとこう。
嫌なのは、その衣の中から、どうでもいいことだけ「ポン」と出てきて私をコツコツ叩くことなのだ。そういうやつを追い払うには、新しい日々と新しい事柄。そう思いながら、ギターケースを開ける。

夜の船で再び和歌山へ向かう。お遍路さんツアーがあまりないこの時期は、船の中がのんびりしている。ちょっと疲れがたまってる。でも、転んでもただでは起き上がらない私は、キャリーバッグに大量の直売野菜を詰め込んでいる(なんか、比喩の使い方を間違っているような気がするが。)

さて、徳島ジャズストは2月22日。ひと皮むけないと。

宝塚から徳島へ

いらっしゃいませ、

「宝塚音楽回廊」というイベントにKとS君とTちゃんが出たので、お手伝い係りに。とはいえ、お招きイベントなので、特に何もしなくてもよいのだけれど、音合わせの時にTちゃんのバイオリンを弾いた。わー、このバイオリン高いのだ。以前、プライベートライブの時に、うちの甥っ子が使わせてもらったときはドキドキしたけど、自分が弾くときもドキドキした。壊したりしないか、じゃなくて、へんちくりんな音が出ないか...とりあえず開放弦をぎ~と弾いた後、ちょっと楽譜をなぞってみたところぐらいでやめる。あー、ドキドキした。

IMGP0504.jpg久しぶりの宝塚は、私の思い出の中の宝塚とはまったく違った代物なので、特に懐かしさは感じない。でも、武庫川はいいなあ。会場のホテルの大きな窓から、阪急電車が鉄橋を渡る絵や、水鳥たちがまあるく集う姿をずっと眺めていた。

お客さんもいっぱい入って、いい感じの午後を過ごした後は、大急ぎで徳島に移動。月に一度の「徳島ファド教室」が翌日にある。今回は、ギターのS君が初の四国上陸。ファド教室のギターもサポートしてくれるので、私は唄の練習に専念できるのだ。うむ。

バスは夜の淡路島(まっくらで何も見えない)を突っ切って、松茂でMT氏の出迎えを待つ。「魚類が食べたい」と、珍しくKが言うので、徳島駅前の「ゑび一」へ(にしても、ここのサイトはすごい...)。新鮮なサバのお造りや、煮魚・焼き魚・南蛮漬けなどを頂くが、極めつけは「幻の地酒」。珍しいお酒を入れたいと、山奥で酒造りをしている所に電話をしたところ、「えー」って感じだったそうで、これでも駅前でお店を構えているという自負をお持ちの店主さんは、たいそうがっかりされたそうだが、それでも色々粘ってお店に置くことができたのだそうで、しかしこれが、うまい!
日本酒をあまり飲まない私が、おっ、これは!と感じた(これって、誉め言葉になるのか?)。大丈夫。飲んだ人がみんな美味しい、って言ったし。でも、酒屋に置いたりとかはしてないそうで、「買いに行きます」とMT氏。がんばれ!お酒の名前は内緒、っていうか、忘れた。これも、大丈夫。MT氏は覚えているから。

iya.jpg翌日は、初来徳のS君のために、MT氏の運転で「日本のチベット」祖谷温泉へ。柔道の石井君がダライ・ラマ氏に人生相談をしたのにちなんで、というわけでもないけれど。
Kと私は3度目なのだけれど、2度目は温泉の改修工事にぶつかって入れなかったから、3年ぶりぐらいになるのだろうか。もう、ワクワクドキドキ、の割りに3度目で初めて車酔い。そのためか、その日に撮った写真は3枚だけ。

この頃「カメラと体力」についてよく考えるようになった。これについては、また別の機会に書きたいと思う。

徳島市内から祖谷への道を地図で見ると、(祖谷付近以外は)東からまっすぐ西へ、の旅路となる。司馬遼太郎氏の「街道をゆく 阿波紀行・紀州紀行」も同様に東から西への旅。まだ見ぬ土地に思いを馳せながらこのシリーズを読むのも楽しいが、すでに行ったところをなぞるのもこれまた趣き深い。かといって、知らないこともまだまだいっぱい。今回はこの本を道連れにしてみた。でも、車酔いしていたので、それどころではなかったなぁ。それに「徳島ファド教室」は15時から。それまでに戻らなあかんし。
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それでも、全員しっかり心も身体も温まって、再び西へ向かったのでありました。

ファド教室は例によって、「たい夢」の鯛焼きをほおばりながら。今の季節限定モノは「栗あん」。1人だけ「ジャーマンポテト」をむさぼるK。

私は曲目を変更していて、弾き語りで歌うことになったのだけれど、今回初めてポルトガルギターと合わせる。そんなん自宅でできるやん、と突っ込まれそうなのだけれど、実は全くしないのであります。基本的には1人で練習。気持ちよく唄ってると、時々隣室から「de の発音がブラジル」とか、「語尾の母音が強すぎる」とかかんとか言われるくらい。

教室でも歌ったのは1回だけ。他の人も唄うし、だらだら自分だけに時間を取ってはだめなのだ。その方が緊張感があってよい。私は好き。そうか、「今度はファドを唄ってみよう」っていうシリーズを書いてもよいかもしれない。でもそれは2月のジャズストが終ってからかな。

最後は「四国のうどんは未経験」というS君のリクエストで、「讃岐うどん」。よいのだ。ここは美味しいから。次はラーメンかしらね。

余談ですが、SSOKの食品売り場で、「金ちゃんの徳島ラーメン」5個入りセットが買える。ほんま、余談。

来月の徳島はリュックを持っていく。だってお茄子、てんこ盛りで100円やったんやもん。

さあ、ファドを弾いてみよう #7 唄いながら

いらっしゃいませ、

d35b54d4.jpegさて、当日は2時からやはり「フリーゾーン大道」で練習。本番前にはリハもあるので、ここではさらっとした練習となる。いまひとつ、というか全然うまく弾けない。だけど、あまり歌手の人に負担をかけられないから、全体練習はさらっと流して、うまく行かなかったところをボソボソ練習する。うまく行かない原因は分かっていて、あ、ここでこの音入れないと、って思うと力が入ってしまって、緊張して、結局中途半端に弾いてしまうこと。

そこで、「あいまいなところは弾かない。弾けるとこだけ弾く」と、開き直って、さてリハまでも時間があるからどうしよう~」ってことになる。

「ビール飲みに行きましょか?」「えー!本番前の昼ビール?!」「気分が大胆になります。」

てなことで、じゃあ昼ビールの美味しいところはどこよ?

「カプリチョーザ」なら、サントリー系なのでプレミアムモルツが旨いです、ってことで、新町川リバーサイドのお店へ。多分、ここのカプリチョーザは、日本一ロケーションがよく、居心地がよい。料理の味は同じだけれど。私とMT氏は2杯頂いてしまう。気分は大胆、晴れやか。ライブ会場である「アンカー・ベイ」へ向かう。リハからそのまま本番に入れるので、そういうシチュエーションは素人演奏者には非常に助かる。

さて、リハ。初めて、ちゃんと弾く。本番に強いわ、私。いやいや、まだ、リハ。こういうときは、えてして本番に失敗したりするので気を引き締めなきゃ。で、18時前から、わさわさと人が入ってくる。始まる頃にはもうぎゅうぎゅう。演奏者と客席が、「あ、どうも。」っていう距離。でも、段のついたところより、この方が私的には落ち着く。

さて、本番が始まるとあることに気づく。観客の視線はファディスタと、初めて目にする人がほとんどであろうポルトガルギターにしか向いていない。ますます、気が楽になっていく。KKさんの「コインブラ」では、鼻歌まで出てしまう、私って。

で、一番緊張する(はずの)演目が始まる。途中からポルトガルギターの演奏がなくなるのだ。何故なくなるのかは、徳島以外では口外してはいけないことになっているので言わない。けれど、やはり観客の視線はファディスタに行っていることに安堵しながら引き続ける。

でも、B♭はやっぱり苦手だ。

途中、MT氏が、「女性のヴィオリスタは珍しい」と紹介する。でも、もしかしてギターが一番入りやすいかもしれない。ファドをやりたいけど、唄うのはどうも。。。ポルトガル語がどうも。。。ポルトガルギターは難しそう。。。だったら、ギターの伴奏がお薦め。一番リズムがわかるところだから、そのうちすぐ唄えるようになる(かも)。コード弾きができたら大丈夫だと思う。気軽に始めてほしいなぁ。

ライブが終って外にでたら、まだ明るい!夏の夜の始まりに、私の「ファドを弾いてみよう」の旅は終ったのでした。

さて、次は唄ってみようかな。(終わり)

さあ、ファドを弾いてみよう #6 真夏の鯛焼き

いらっしゃいませ、

さて、リスボンから帰ってきてすぐにギターを取り出して弾く。気持ちが盛り上がっているせいだったのでしょう。すると不思議、今までモタモタしていたコード変更のときのベース音が自然に出てくる。お!リスボン効果!心なしかリズムも本場っぽい気までする。

が、こんな調子はすぐ消える。

海外に行くと、普段しないことをやらなきゃいけなかったり、もちろん日本語じゃない言葉をしゃべったり、また日本人と違う人々と混ざり合って過ごしていると、日本に帰ってきてしばらくの間は、そのままの「日常的でない自分」でいけることがある。若い頃は特に、何事にも自信をもってテキパキ動けたり、英語をおっくうがらずにしゃべれたり。けれど、こんな調子もしばらくすると、日本の湿気とともに沈下していく。それと同じことなのかもしれない。現地の風に吹かれて、「雰囲気」をまとって帰ってきても、結局それは「ホコリ」みたいなものだから、日本のじっとりとした風に、すぐに持っていかれてしまうのだ。

昔、「バイリンガルの研究」という学問について、英語学の博士号をアメリカで取ったという同僚がこんなことを教えてくれた。
「バイリンガルは自然に生まれるものではないの。外国で暮らして、現地の小学校で英語で話し、家に帰って親と日本語で話す生活をしている子供は、二つの言語を毎日使う訓練をしているのであって、日本に帰って英語を見聞きする機会がなくなると、すぐに英語は忘れてしまうの。バイリンガルを保つためには、日本に帰ってからも英語を同レベルの環境で使い続けたり、意識的に勉強し続ける必要があるの。バイリンガルは人為的に育てるものなの。」

ほお、って思った。この努力は大人になればなるほど大変になってくるのだ。確かに。

話は、ちょっとだいそれた方にいっちゃったけど、本場の国で付いた「ホコリ」を定着させるには、その感覚を忘れないように練習し続けなければいけないし、さらに思うのだけれど、そもそも「ホコリ」ではどっちみち吹き飛ばされてしまうので、ちゃんと「技術」をきちんと理解して持ち帰らないと、何をどう練習し続けてよいのかわからないのだ。

では、私が1週間で理解したヴィオラの「技術」とは。。。ないよ、向こうで習ってきたわけじゃないから。だけど、「ファドは楽しい」。それだけは身体がまだ覚えている。徳島では楽しく弾こう。

7月の徳島は、暑い。大道フリーゾーンの冷房をつけてふと大通りの向こうをみると、ない。鯛焼きやの行列が。これはもちろん暑さのせい?実はそうでもなくて何ヶ月か前から、以前のような行列がない。
「徳島の人は、すぐ飽きるんよ」 ファディスタのKKさんが言う。そうそう、今回KKさんは「コインブラ」をやるんだっけ。毎日Pateoで聴いたな。そう言えば今回は、「難船」や「暗いはしけ」や「Chuva」を唄う人はいなかったな。なんだか、あんなような曲たちはPateoに似合わないような気がしてる。あくまで「気」だけど。

話がそれた。そう、で、鯛焼きを買う。やっぱり「小倉あん」は美味しい。冷房の効いた部屋で、ホクホク頂く。今回は、練習を録音した。やっぱり、唄がないと、なかなかタイミングとかが分からない。大阪に帰って、KにMP3に入れてもらって、毎日通勤電車の中で聴く。

そんなこんなで、あっという間にジャズストの日がやって来た。前日の夜に遅いフェリーで徳島港に着くと、やっぱりMTさんが迎えてくれた。この瞬間が一番ホッとする。

そして、本番。なんだかとても意外に展開していく。(続く)

 
 

プロフィール

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DonaT
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性別:
女性
自己紹介:
被写体に恋をしたらシャッターを押し、フワフワしてきたら文章を書き、もわもわしてきたら花に水をやっています。
写真のこと、旅のこと、本のこと、言葉のこと、音のこと、などを描いて撮ってます。

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