いらっしゃいませ、
自分の唄いやすいメロディラインとリズムに慣れて、「ルン」と迎えた徳島ジャズストリート。ところが、数日前に、演奏する店にはマイクが2本しかなく、持込の機材も使えないかも、との情報。2本のマイクは、楽器に使う。つまり、
歌はマイクなし。
げ!でも、がたがた言っても仕方がないのね。
今回のジャズストの反省点は、自分の歌の方に気がいっていて、前回ほど他の人の伴奏に気が回らなかったこと。気が回ってきたのが直前で、そっちの方にすごいドキドキ。今回は、すごく「あがった」。
歌の方は、最初マイクがないことを気にしすぎて、でかい声を出そうとして声が一部ひっくり返る。2番あたりから、店がそんなに大きくないことと、お客さんがざわざわしていないことに気が付いて、通常の唄い方になるよう頑張ってみた。それでも、自然と気張ってるんだろうなあ、ところどころ音程がずれる。でも、大きな拍手をもらえたし、後から「きれいな曲で、うっとりした」っていうお言葉などもいただき、この曲選んでよかったなぁ、って思った。「ファド=暗いはしけ」を、こんな低いレベルでも払拭したい。
ジャズストが終って、しばらくこの歌は唄わないな、って思っていたら、ひょんなことから知っている人たちの前で披露することになった。就職が決まった人を祝っての、そしてまたお別れの曲だったのだが、ジャズストよりもちろんリラックスして歌えたし、この歌の歌詞が、まるで彼女のようだなぁ、って思いながら唄った。初めて歌詞に声が共振したような気がした。
こんな風に、私の「唄ってみた」の日々が一旦終る。唄ってみて初めて、「人それぞれのファド」という意味が分かる。「あれはファドではない」「あの人の唄い方は違う」などの声を聴くことがある(ちょっと違うよなー、っていう固定観念ももちろんある)。プロフェッショナルとして聴衆からお金をもらって唄う人には、聴衆のある種「固定観念」におもねった唄い方や選曲が必要なのかもしれないけれど、Vadioに集まって唄う人々は違う。みんな好きな曲が違う。声が違う。共鳴する部分が違う。自分は誰とも同じではないのだ、っていうのを唄うことを通して、身に感じることができた。そして、そんないろいろなファドをみんな気軽に楽しんでほしいなぁ、とやっぱり思った。もちろん、基本のリズムとか発音はしっかり勉強して。今、ちょこちょこと人に声をかけている。いつか、「Fado Vadio Osaka」みたいな会をやりたい。月に一回ぐらい集まって、飲んで唄って、食べて飲んで(まあ、素人の場合こうなる)。
楽しかったです。みなさんもぜひ。
PR