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Hōkele Malama Columns

親ページが「Residencial Azul」から「Hōkele Malama」に変わったので、このBlogのタイトルも変わりました。渾身の(とまではいかない)Columnページです。

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かなり滞っております。

いらっしゃいませ、

以前は自分の中でメインだったこのブログ、かなり更新が滞っている。

Diary用のブログを立ち上げたり、ポルトガルに特化したブログも

書いたりしているもんだから、そらそうか。

ここは、テーマのはっきりしたコラム風のものを、特に連載のものを

書こうと位置づけたけど、一向にテーマが展開しない。。。


まずいなぁ。


がんばりまする。
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Those Hotels #9 ワイキキの果て

この町で泊まる時は、贅沢感は一切求めたことがなかった。
使い勝手と、便利さと、安さ。
ホテルやコンドミニアムに、リゾートを必要としないからだ。
ここは、お土産買いの追い込みの町。
ちょっとは洗練されている食事にありつける町。
それなりの対価を惜しまなければ。

ワイキキ。

この町で、一度、場末感のあるホテルに泊まったことがある。
その名は、「EVA Hotel」。

場末といってしまったのは、施設がおんぼろだとか、あたりが
治安が悪そうだとか、そういう意味ではない。

ラナイはとことん狭く、オーシャンビュー?高層ホテルの裏手にあるので
ストリートビューオンリーだ。でも、ワイキキにオーシャンビューなんて
必要?2,3ブロック歩けば海やん。

シンプルなミニキッチンがついていて、コインランドリーもホテル内に
ある。泊まった2000年当時で、インターネットカフェがあった。ホテル外
から利用者が来ていたくらいだ。日本語の入力もでき、フロントスタッフ
の中には日本語ができる人もいた。
個人的には使い勝手がよく気に入っていたのだが、連れの叔母が
日本に帰ってから文句を言っていた。でも、そもそもマウイでシェラトン
に泊まって「高い、高い」とぐちゃぐちゃ言ってたから、思いっきり
オアフで節約してあげたんだよ。
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場所も悪くない、ワイキキまで2ブロックほど。すぐ隣は私の好きなカピオラニ
公園だ。最終日、この公園の抜けて、ダイアモンドヘッドの麓まで
ジョギングした。

2泊の滞在だったけれど、長くいると味が出てくるようなホテルだった。
実際、住み着いている人がいた。その人と廊下ですれ違ったとき、
そう、感じたのだ、「場末感」。

想像するにたやすいが、おそらくアメリカ本土の西海岸から流れ着いてきた
と思われるカップル。若くはない。フラワーチルドレンの枯れ花。
男は、見るからにアル中。体もかなり壊している感じで、若作りの女が
彼を支えてゆっくりホテルの廊下を歩く。酒の匂いがフッと漂う。

もうどこにも行くところがない。行けたとしても安ホテルの廊下のつきあたり。
どれだけ過ごしたのかも忘れてしまった部屋。

派手なアロハシャツとムームーの取り合わせが、もの悲しい。

ホテルの名誉のために言うと、そんな人たちばかりが泊まっていたわけではない。
ホテル代を節約して、ハワイをとことん楽しむ人たちも多い。

3年前にオアフに立ち寄ったときは、本当に片足つく感じの一泊だったので、
Eva Hotelは選択しなかった。
あれから10年。もちろん、あのカップルはもういないだろう。

さて、どこへ漂い流れたか。
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※今やっぱり値上がりしてる。。10年前は3人で(たぶん)Superiorに泊まって、
一人2000円ぐらいだったのになぁ。

スポーツニュースでは見えないこと

いらっしゃいませ、

テレビをまた少しづつ見始めてはいるのだけれど、
ネットで情報は得られるは、古い動画(ドラマも含め)見られるは、
では、どうもテレビの分が悪い。

「ネットで得た情報だけで、本当の情報が得られていると思うか?」

的は得ていないが、真実も含んでいるように思える言葉。
さて、どうなんだろ。

でも、今から書くことは、私がテレビでも新聞でも雑誌でも得られなかった
世界です。

私だって、ネットニュースは物足りない。ブログに書かれていることを
鵜呑みにすることもない。

が、複数のブログや、ニュースや、ツイッターを毎日コツコツと拾い続けることで
浮かび上がる真実があった。

「プロテニス選手の日常」

ただでさえ、日本ではメディアの露出の少ないこの種目。グランドスラム大会での
日本選手の動向が、スポーツ紙の片隅をにごすことはある。

が、その下の、そのまた下の、またその下の小さな大会を回る選手たちの日常は
スポーツニュースの話題に上ることはない。

でも、毎日3つか4つのブログとツイッターとFaceBookをチェックすると、じわじわっと
真実がにじみ出てくるのが分かる。

私がときどきまとめてチェックしているのが;

瀬間友里加のオフィシャルブログ (現在WTAランキング155位)
瀬間詠里花のオフィシャルブログ (現在WTAランキング258位)
森田あゆみオフィシャルブログ (現在WTAランキング85位)
伊達公子オフィシャルブログ (現在WTAランキング67位)
錦織 圭オフィシャルブログ (現在ATPランキング345位)

この他に、錦織選手はツイッターもやってるので、フォローしたら
いちばん早く、試合の情報を「本人から」伝えてくれる。

そこで、彼・彼女たちの、世界や日本国内を転戦する日常、勝った負けたの日々、
怪我、リハビリの毎日、を知ることができる。

グランドスラムの1回戦のコートに立つ選手が、どれだけ選ばれた人々で
あるかが、次第にくっきりと浮き彫りにされる。ましてや、ベスト16、ベスト8・・・

有名人や表現者のブログには、時としてハッタリが思い切り見え隠れする。
でも、スポーツ選手の「勝った」「負けた」は、どうやってもごまかせない真実である。

「負けました」、の続くブログを書かなければならないストレスはどんなものなのか。

何故、彼ら、彼女たちは、ネット上に自らをさらしていかなければならないのか。

それが、己を鼓舞する一つの手立てなのか。それともスポンサーの意図に従っている
だけなのか。

それは知るすべもないけれど。


ネットのなかった時代との比較。伊達公子の存在が、それを少し可能にする。

彼女は、既存のメディアの中で、非常に寡黙であり、とても内向的な人であるように
思っていた。

ネット時代に復活した彼女は、饒舌すぎるほど饒舌であり、同じ人間のように思えない。

たぶん、同じ人間でない部分ももちろんあるような気がするが(人は絶対に変わらない、という
意見にはあまり賛成できない)、本来の彼女が、新しい表現媒体を得ることによって、
顕れた、とも言えるかもしれない。

自分の言葉を正確に文字や映像にすることのできないマスメディアへのもどかしさが、
20代の彼女の口数を減らしていったのかもしれない。そのようなアスリートが他にも
いた。本人の言葉が真実だと言っているわけではないが、彼らが語りだしたのは、
少なくとも、アスリートの生活を知らない者たちに書かれるよりは、自ら語ったほうが
ノンストレスなのかもしれない。

ネットメディアの1ページだけを見て、ああだこうだ、というのは危険だと思う。

でも、複数の異なる観点で、ネット上を「まさぐり」、己の感受性(これはとても大事)を
能動的に搾り出すことで、「垂れ流されるものをただ受け取っていた」時代には得られなかったものが
得られることもあるように、思う今日このごろ、であります。





47都道府県の記憶 番外編#1 大阪その1

いらっしゃいませ、

「47都道府県の記憶」シリーズを書いたときに、いちばんやりにくかったのが、
生活の場であったり、仕事の場であったりする、訪問回数が「カウント不能」な
都道府県。具体的にあげてみると、

大阪・兵庫・京都・東京。

後から読み直してみても、この4都府県だけはパンチ(?)にかける。
どうでもいいこと書いてる。

で、あとから思いついたら書き足します、みたいな事もかいてるのですが、
まあ、ブログは後戻りして編集・追加っていうのはほとんどしない。

で、思いついたおススメなところなどを、番外編で書き足してみることにしました。
今回は、大阪府と兵庫県。

○大阪府

大阪駅前第1ビル~第4ビル B2~B1F


ここは、30~40年ぐらい前なのでしょうか、再開発されたの。それまでは梅田周辺って、
けっこうごちゃごちゃと、しもたやが多かったのですよ。個人の商店も多かったし。
なんとなく記憶にある。
聞いた話だと、家賃が高くてテナントがあまり入らなくて、で、人の波はそのビル群方向には
あまり流れない。

なので、ずいぶん長い間、駅前ビルの地下を歩くのはちょっと寂しい、というか怖いこともあった。
何かあるわけではないのだけど、ゴーストタウンっぽくって。

それが一転して人が増え、テナントも突き出したのが、「ディアモール」という地下街と、JR北新地駅
(東西線)ができたあたりからのように思う。

以前から入っている、昭和の時代に置いてきぼりを食ったような店も、今はそれはそれで
キッチュである。

安くておいしい飲食店も多い。私がよく行ったのは、「すかい」(は今でも)、「OKINAWA」、
「桜百番」、「オステリア・ガウダンテ」とか。

中古レコード屋「Disc JJ」も楽しい。カメラ屋も充実している。

大阪っていうと、キタの茶屋町とか、ミナミは心斎橋・ナンバとか、観光客は行くのだけれど、
いやぁ、ここも面白いよ。帰りのチケットは、このあたりの格安チケット屋で買えばいいし。

今、JR大阪駅とその北側が再開発の真っ最中なのだけれど、人の流れはまた変わるのだろうか。

ただ、北側はその向こう側に何もないからなぁ。

とても贅沢な夢

いらっしゃいませ、

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大学を出て、ほとんど休みなく社会で働いてきて、失業期間や無職期間も、
次の仕事のための勉強をしたり、求職活動したりしてきたから、「仕事というものをやめた」
という感覚はなかった。

いつになったら仕事しなくてよくなるのかなぁ、なんてよく旧友と愚痴ったり
したものだけれど、実際にはそれがとても怖かった。
専門の仕事も、若い人が出てくればどんどん機会はなくなっていく。
だから新しいことを(同じ業種で)常に吸収していかなければならないのも
楽しいという感覚はなかったな。

「夢は庭いじり」

なんて働くもの同士で、自虐的に言っていたものだけど…

今、してるやん、私。

仕事は再開したけれど、フルで働く選択をしなかったから、
雨の日以外は、庭にいつの間にか立っている。

夢はかなえるためにある、なんて陳腐なフレーズがあるけれど、
その夢に向かって何か特別なことをしたわけでもなく
気がついたら夢の場所に立っていることもある。
いちいち、自分の今を言葉して確認したり、意味づけたりする
タイプじゃないから。

春の暖かな日差しの中で庭に立ち、果たして私は本当に夢見てたんだろうか、
って思い、でもいちばん心が落ち着くひとときでもある。
いやなことはしばし忘れる。

そう、「庭」っていうぐらい、広い場所もあるのだ。
いままでそのありがたみを取り立てて考えなかったのだけれども、
ああ、これすごい贅沢…と立ち止まる。

1年かけてやっと咲いた花が、たまらなくいとおしい。

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Those Hotels #8 名もなきホテル

いらっしゃいませ、

名前はちゃんとあるのである。

ただ、覚えていないだけで。

目的の場所ではないがゆえに、ないがしろにされるのだ。利便性と手っ取り早さ
だけで選ばれたホテル。

トランジットのために、「宿泊しなければならない町」で取ったホテル。

オランダの2泊はまさにそんな滞在。

いいホテルは必要ない。便利であればいいのだが。。。泊まらなければならない状況
というのは、急にやってくる。え?オランダ?2泊(行きと帰りそれぞれ)?聞いてないよ!
アムステルダム?英語通じるの?!

軽いパニックに陥りながらも、電話でなんとか予約したホテル。一泊づつ違うホテル
にしたのは、滞在時間によるものだった。往きは寝るだけだから、空港に近い
ホテルに、帰りはかなりトランジットに時間があったから、観光できるように街中のホテルに。

で、どちらも名前を覚えていない。

だが、その外観、周りの風景、ホテルのレストラン、廊下、部屋の感じ、
をけっこう覚えているのだ。飛行機の中でほとんど眠れずに、じりじりする睡魔と
戦いながら、まだ明るいアムステルダムの平坦な、ただひたすら平坦な
そして退屈な風景をホテルの窓から眺めていたことを。

帰りのホテルは、体力・精神ともにストレスの極致にありながら、
それでもチェックイン係である私は、かなりハイになってフロントの兄ちゃんと
はしゃぎまくったことを。

ホテルの前の通りを、トラムが高速で通り過ぎる。誰も轢かれたりしないん
だろうか。

何もかもがやたら大きかった

「オランダへ行こう」と、思うような要素が私の中には何もなかったのに
(今でもないのに)、割安なKLMという飛行機会社のおかげで、
何度か、その地へ降り立つのだが、

平坦で、

退屈で、

平坦で、

退屈な、

そんな時間がただ通り過ぎ、

そして、帰国した翌年の春には、こいつらが満開となるのである。

今回は2年目の春を迎えた。

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2008年(このときは、泊まらなかったが)夏のアムステルダムで、
ハイネッケンでほろ酔いになりながら買ったチューリップ。

咲かせてみたら、あらびっくり、首がない。

2年目に咲かせたのは今回が初めてで、

ああ、オランダとはやっぱりいい縁があるのだろう、と思う。

じゃあ、オランダへだけの旅行ってするんだろうか。

まずはないと思う。

田んぼのど真ん中にあったホテル、まったく味のしない大盛のサラダを出す
レストラン、従業員の感じのいい笑み、

やはり、名前は思い出せない。






ダイスケとかノブナリとか

いらっしゃいませ、

バンクーバーオリンピックって、やってましたね。

ほとんど見ていないのです。

生で見たのが、フィギュアスケート男子のSPとフリー、女子のSPぐらい。

なんでか?

テレビのある部屋から、この冬寒さのため撤退したからでした。テレビを
残して、居間&寝室を移動。

ネット上でなんだかんだと騒がれていましたが、フィギュアスケート。6人も
出場して、全員が入賞するなんて、隔世の感です。

伊藤みどりという天才が、突然変異のようにポッと登場する以外は、
このスポーツは、日本人とは係わり合いがないように思っていた。

私が子供のころには、たぶん誰かいたんだと思うけれど、子供の目に
入ってくるところまではなかったのだろう。今は、2歳の子に、
” まおちゃんみたいに、まわろー”
って言っても、みんな喜んでくるくる回る。

なのに、

である。私が子供のころ、子供の足だけで行ける範囲に、なんと3つも
スケート場があった。

梅田にひとつ。今は、ホテル阪急インターナショナルホテルが建っているあたり。

なんばにも。ナンバ球場の中だったように記憶している。

そして、海の近くに、もっとも巨大なスケート場が存在していた。

前述の2つは、フィールドリンク(っていうのでしょうか)だけしかなかったが、

3つめのそのリンクには、外側にスピードスケート用のトラックリンクがあった。

天井は、子供の目にはどこまでも高く見えた。


ラサ・スケートリンク。


今は、URの団地になっているらしい。

昭和の風景をいくつかあげろ、と言われたら、大阪万博の会場などとともに、
私は、このスケートリンクが頭に浮かんでしまう。

たった一回しか行ったことはなかったけれど、その巨大なハコに多くの人々の
歓声や嬌声が響き渡っていたのを、はっきりと覚えている。

それらのスケートリンクは、優れたスケーターを生み出すことはなかったし、
バブルの頃あたりだろうか、ひとつひとつその姿を消していった。
(その時期さえ、はっきり覚えていないくらい、ひっそりと)

ニュースで、フィギュアスケーターたちが、スケート場の存続を訴えている
姿を見る。

こんなにたくさん、レベルの高いスケーターがいる現在は、逆にスケート場が
ない。

もちろん、ハコだけの問題じゃない。ハコはあっても、当時はソフトの問題、
指導者や選手のバックアップがなかったのだろう。

たとえば今、梅田あたりにスケート場を作ったとして、今のフィギュア熱は
どれだけの人を呼ぶのだろうか。

だいたい、若い人たちは、どこで何をしているのだろう。

スキー場からも、テニスコートからも、若者が消えていった。

オリンピックを見て、ふと思ったのはこの程度のことでした。
まあ、その程度しか見てなかったのだけれど。。。

ワールドカップは、ちゃんと見よう。

高校生のときに「シャガール展」に行って、途中で飽きた。

いらっしゃいませ、


長く生きているので、色んな美術館に行きました。

色んなビッグネームの「~展」に行きました。

色んな「美術館展」に行きました。

ざっと挙げてみても、

「シャガール展」
「ゴッホ展」
「ルノワール展」
「モネ展」
その他、印象派展
「ピカソ展」
それからっと、

マチス、ミロ、ゴヤ、フェルメール、クリムト、ムンク、バルティス、

出かけた美術館は、
「メトロポリタン」
「MOMA」
「オルセー」
「ルーヴル」
「ピカソ美術館」
「ゴッホ美術館」
「オランジュリー」
「マルモッタン」
「ポンピドゥーセンター」
「ウフィツィ」...

なんかと似てる。

そう、大物外タレのライブ通い。

美術鑑賞っていうのは、そういうもんだと思っていた。

名作、名画と言われるものを、それなりの対価を払って観に出かける。

それは、多分今自分の何かの一部にはなっていると思う。

それだけの機会に恵まれたことは、ラッキーだとも思っているし、

これからも機会があれば、名画名作を観に、ビッグな美術館や美術館展に出かけるだろう。


ただ、それだけでいいのか、と。

おっと、よくはないのだ。

と気づいたから、というわけではなく、それはまた素晴らしい言葉である「縁」というものの

おかげで、私は「現在進行形の、現代美術」に邂逅したのでした。


現代美術?観たことあるよ、って思いながらも、よくよく考えるにそれは既に過去のもので、

今、私と同じように生きている作家たちの作品に触れ合うことは今までなかったのだ。


そりゃぁ、最初は戸惑いました。いや、今でも戸惑う。

なんだこれは、素人のカフェのインテリア装飾か?

イラストレーションや漫画とどう違うん?

大きい工作?大きければいいの?


そして、議論が始まる。議論というと大げさかな。映画を観た後の

感想の言い合い?いや、それよりはもっと考える。


くさしてもいい、嫌いって言ってもいい、なんかわからんけどエエっていってもいい。

わからん、って言ってもいい。

ルノワールとかモネとか見たあとに、そんなことありえる?
(ピカソなんかはあるなぁ)

だから、現代美術は、1人では出かけない。複数で楽しむのがいい。

それのベストが、昨年の「大地の芸術祭・妻有トリエンナーレ」だった。


なのに、先日1人で出かけてしまった。

都立現代美術館の、「MOTアニュアル 装飾」

誰とも話せなくて、

つまんないよー。


マクロレンズがほしい。

いらっしゃいませ、

なんだ、この一ヶ月に一回の更新ペースは。。。

冬眠から覚めて。

掘りごたつ屋敷のお庭は、少しずつ春の気配。

「恋する写真部」のお友だちからのメッセージを見て、ハッとして

カメラを持って庭に飛び出す。

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今年も首は短いのかな?オランダ土産のチューリップ。







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しゃわしゃわ感が可愛くて買った名もなき
(あるんだけど忘れた)花。







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大阪市内に住んでいたときに買って、2度の
引越しを体験したカランコエ。
巨大化している。
(一度、枝わけしたんだけどな。。。)






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オリーブ。実はつかねど。







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ガーベラ。一度枯れたけど、雨に当たらないように
していたら、新しい蕾が。







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庭の主の寒椿。冬の花は凛々しい。







人間よりも、もとい、私よりも、ちゃんとしている花たち。


ささやかに人生を変えるもの

いらっしゃいませ、

「人生が変わる」というと、とても大仰に聞えてしまうけれども、

例えば、ものの感じ方や、ちょっとした価値観が変わる、とか

見慣れた風景や心象に、パッと色彩が加わったり、とか

みぞおちの辺りに滞っていたものが、すぅーっと溶けて

何かからひとつ自由になったような気がした、とか

そんな瞬間が、今までの人生のところどころにあったと思う。


人や仕事との出会いは、そういった瞬間的な邂逅ではないような気がする。

そんな刹那は、映画や本の方が与えてくれるものなのだ。

映画や本を、「絵空事」と言い捨ててしまうことは容易い。

映画や本なんかで、人生経験を積めるなんて思うのは甘っちょろい。

でも、やっぱり、映画や本で、さっと目の前が拓かれることだってある。

それは、そのとき気づくときもあるし、あとあと、ああ、って思い出すときもある。

(音楽は?ってふと考えるけど、個人的な見解だけど、「刹那」なものではなく

割と長くじっくり人や人生に影響を与えるものだと思う。特定の音楽なり曲なりに「ビビっと

出会って...」て語る人の音楽性って割と浅かったりすることが多いような

気がするのだ。)


自分をささやかに変えた映画の1つが、

エリック・ロメール監督 「友だちの恋人」

本当に普通の人たちの、普通の日常の物語(フランス人のパリの日常なので、

そういう意味では、日本人にとって奇異な部分はもちろんあるけど)。

社会に出て10年ほど経ち、仕事や恋愛や友情、そもそも人生なんてドラマティック

でもなんでもなく、平々凡々に過ぎていくことを十分悟っていた。

そんな頃、この映画を観て、ちょっと毎日の自分の周りの風景を、映画の主人公たちに

重ね合わせたりしたものだ。


劇的に何かは変わるものでもない。でも、今思うと、あの頃、毎日を楽しめるように

なっていったと思う。

よく私は人にこんなことを言う。

「今の自分と、10年前の自分のどちらが幸せかなんて言えない。1本の線上にあるものを

比較なんかできない。今が幸せだから、(状況の違う)あの頃がそうでなかった、なんて

言えない。その時はその時で、しあわせだったし。」

自分を、少し離れたもう一人の自分から観る。映画が、そんなことを教えてくれたような気がする。

最近、それがあまりうまくいかないのは、映画をあまり観ることがなくなったからかな、

なんて思ったりもする。


他にも、私が(無意識に)支えられていた映画は、数知れない。

でも、この一本の映画を取り上げたのは、理由がある。

今週、この映画を撮った巨匠エリック・ロメール監督が亡くなった。89歳。


合掌。

プロフィール

HN:
DonaT
HP:
性別:
女性
自己紹介:
被写体に恋をしたらシャッターを押し、フワフワしてきたら文章を書き、もわもわしてきたら花に水をやっています。
写真のこと、旅のこと、本のこと、言葉のこと、音のこと、などを描いて撮ってます。

ついったー

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