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Hōkele Malama Columns

親ページが「Residencial Azul」から「Hōkele Malama」に変わったので、このBlogのタイトルも変わりました。渾身の(とまではいかない)Columnページです。

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近くて近い町

いらっしゃいませ、

気がついたら1ヶ月以上更新してなかった。。。

頭の中がぎゅうぎゅうに詰まっている感じだったからかも。

てなことで、年末。かといって、振り返るのもおっくう。

普段取り入れていたことを、なんだかほったらかしにしていたような気がするので、
ちょっと観てみたい映画のことなどを。

海角七號

っていう台湾映画。本国では去年公開されて、すごくヒットしたらしい。
来年すぐに日本で公開されるらしく、邦題は「海角七号 君想う、国境の南」。
過去と現代が交差する設定。日本統治下がその舞台の1つであること。
ん? ホウ・シャオシェン? と、一瞬思うが、若い監督さんらしく、ちょっと期待してる。
ミニシアター系なので、うっかり見過ごし、がないようにしなきゃ。

マイレージがそこそこたまったので、台湾なら思い立てばすぐ行けそうなのだけれど
今はなかなか腰がたたない。
テレビ番組なんかで、台北の街並みが映し出されると、ホントすぐ手が届きそうな
明日にでもそこを歩いていられそうな感覚におちいる。

私にとっては、東京より気持ちがなじむ町なのだ。何故かはわからないけれど。

次ぎ行くときは、台中や台南、高雄も行きたい。鹿港も。
昨日、実家から「古都」を持ってきた。川端康成ではなく、朱天心の。

映画と本で、ちょっとはずみをつけてみようかな。。。

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Those Hotels #7 眺めのない部屋

いらっしゃいませ、

47都道府県めぐりが終わったあと、ちょっとぐったり。あらためて読み返すと、
未踏破の県が1つ多かったことに気づいた。踏破した県は39県。後8県か...
と言って、絶対踏破したいという野望も実はないのだけれど。

シリーズものが2つ(「大地に還って来た」と「47都道府県の記憶」)挟まったので
すっかり忘れていたもう1つのシリーズもの、「Those Hotels」。
あまり肩に力入れずに続けてみようと思います。

「トスカーナ・ブーム」っていうのがあったみたいで。
時期的には「プロヴァンス・ブーム」の後なんだろうか。
プロバンスの時のように、「南仏プロヴァンスの12ヶ月」というビッグ・アイコンはなかった。
映画とか、雑誌とか、エッセイ本とか、細かいもんで盛り上がってたような記憶がある。

ただ、私にはひとつの確信があった。プロヴァンスとトスカーナの比較にあたって。

「絶対、トスカーナの方が美味いに違いない。」

プロヴァンスの旅の連れであったMちゃんと再び旅立つ。彼女の方が、食に関する
情報収集力が強い。

今回の旅のテーマは「トスカーナ」であったはずなのだが、途中で「シチリア島」
なんていう候補地も出てくる。これは、トスカーナ以上に私の思い入れがそこにあった
だけの話なのだが、これは距離、日程を考えて却下することとなった。

どこかで何泊かステイをすることで、じっくり旅ができる。最終的には交通の便を考え、
フィレンツェで4泊することに決める。

さて、宿だ。4泊するのだから、便利でかつ心地のよいホテルがよい。雑誌や特集本では
大型ホテルではなく、プチホテルがもてはやされている。Mちゃんと吟味の末、
決めたホテル、が、名前を全く覚えていない。ただ、4泊もしたものだから、おまけに
フィレンツェの旧市街が非常にコンパクトであったため意外に場所を覚えていた。
ネットで地図を確認しながら、記憶にあった姿形とほぼ重なるホテルを発見した。

Hotel Donatello Florence

でも、こんな名前でなかったように思う。おそらくホテルチェーンに組み込まれたのでは、
という推測をする。

サイトの写真を見ると、窓が大きい。この部屋は公園に面してるのだろう。
私たちの部屋は、窓がとても高いところにあり、おまけに小さく、二重になっていた。
夜寝るときに納得した。公園の反対側、おそらく道路に面していたのだ。非常にうるさかった。
そら二重がいいわ。とにかく、フィレンツェはうるさい町だった。細い路地を車やバイクが
クラクションを鳴らしながら駆け抜ける。観光客(含む私たち)が石畳を鳴らして歩く音。
ドォーモの容赦のない鐘の音。

窓を開けると、広々とした町並みとドォームの屋根が見える、というシチュエーションが
必要なら、もう少し郊外のホテルに泊まらないとだめだ。

このホテルについては、これ以上、何も語ることはない。
名前すら覚えていないホテルを、ネットの上をフラフラと探して廻ることが
ちょっと面白かった。今は、Google Earthなんてものもある。

トスカーナをめぐる旅をするのであれば、シエナという町に連泊した方が
もっと満喫できたかもしれない。私たちは、結局トスカーナ以外に、パルマ、ヴェネチア、
ローマに泊まった。その点から言うとフィレンツェは正解だったのだが。

さて、トスカーナはプロヴァンスより美味しかったか?これは、あたり。ところが、

フィレンツェより、パルマ(ロマーニァの方がもっと美味かったのだな。


47都道府県の記憶 #13 福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島・沖縄

いらっしゃいませ、

9つって書いたけど、それは廃藩置県前の国の数です。失礼しました。
現在は8県。一気に行きます。その理由は、CMの後すぐ。

★福岡県

1. 6年ほど前に2回。
2. 仕事

この県が仕事で、っていうのはくやしいです。コーディネートする人々の無知による伝言ゲームミスで、ミスマッチな仕事を受けてしまい、割と嫌な感じで仕事を終えた後(顔はあくまでお互い笑顔)、1日だけの仕事だったのだけれどプライベートでホテルを一泊取っておいたおかげで気分転換できた。

まずは「長浜ラーメン」屋台でしょう、ってことでホテルの人に場所を聞いたら、非常にそこから行きにくいところなので、とタクシーを勧められる。タクシーの運ちゃんに、ちょっとあきれられながらも、「ナンバーワン」という屋台の前で止めてもらう(屋台通りの一番手前にあったからか)。

結論から言えば美味しかったです。スープを完飲してしまった。ビールも頼んでいたので、その後酒のアテなんかもいろいろ。ラーメン食べなくてもいい、みたいな雰囲気がちょっと面白かった。博多は、個人的な味の好みだけで言えば「ここに住める」、って思った。

でも、6年前はまだラーメンが美味しいと思えたのだなぁ。最近はどんなに評判のところでも、最後の方がしんどくなる。

★ 佐賀県

1. 同じく6年ほど前に1回。
2. 唐津焼を見に。

翌日、地下鉄に乗って佐賀県へ。 地下鉄でいけるんですよ。途中の駅でJRが乗り入れてます。右に「能古島」を見たりして(頭の中で、「能古島の片思い」なんか口ずさんで)、のんびりとローカル電車は唐津へと向かう。

その頃、陶芸をやっていたこともあり「唐津焼」をいろいろ見て廻って、できれば何か買いたい。海のものも美味しいだろう、と期待も膨らむ。

観光地なので循環バスが整備されているけれども、唐津城あたりまでなら、徒歩で行くのも唐津の町並みを楽しめて楽しい。

唐津焼、値札にびびる。1枚1500円の「小皿」、本来なら5枚欲しいところを、3枚で妥協した。粉吹(こふき)の上品なもので、今でも大切に使っている。
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★ 大分県

未踏地。
何度も行く計画(の数歩手前)はあったのだが、未だに夢果たせず。ありふれてはいますが、別府に行きたい。関サバが食べたい。

★ 長崎県

未踏地。
 もしかしたら、もしかしたらなんだけど、すごく直感的なことなんだけれど、なんだかこれからも縁がなく、訪れることがないような気がする県。もちろん、縁があったら行ってみたいのだけれど。なんなんだろう、この不思議な感じ。唯一この県だけだし。

幕末好きなのに、と言われそうなんだけど、微妙に長崎関連は個人的にポイントがずれる。

★ 熊本県

未踏地。
 火の国、っていう言葉には、温泉たくさん、みたいなワクワク感がくっついている、って感じるのは私だけ?

わいた温泉郷、とか はげの湯、とか、いやがおうにも盛り上がる。

★ 宮崎県

未踏地。 
もしかしたらフェリーで通ったかも、という程度。上陸はしてない。鹿児島からのアクセスを調べたことがあったけど、隣なのにものすごく遠い。そんな僻地感がたまらない。

★ 鹿児島県

1. 学生時代に3回。昨年1回。
2. 学生時代は3度とも屋久島。昨年は鹿児島市内のみ。

屋久島に行く、と言ったら、「どこだ?」と聞かれた時代。沖縄の島々と混同されて、「ナンパされに行くのか!」と家族に勘違いされた時代。

隔世。

何とかして、いつかまた行きたい。

永田の浜がいちばん好き。

昨年は、親戚のお墓事情がらみに便乗して。とにかく、名物を食べまくる・飲みまくるの旅。くわしくは過去のブログで

★ 沖縄県

1. 80年代に1回。90年代に1回。
2. 友人夫婦を訪ねて「黒島」へ。友人の父上の別荘のある「伊計島」へ。

考えると、あまり一般的ではない沖縄旅行だった。つい最近、朝の連ドラを見ていたら黒島が出てきていた。多分、ロケに使われていた施設付近に泊まったと思う。友人のお姉さんのご主人が、当時N観光が運営していた海亀の研究所で働いておられた。調べてみたら、今はその研究所はNPO団体が運営していて、宿泊した隣の「マリンヴィレッジ」は、去年閉鎖されていた。まあ、ホンマに何もない島やった。台風の直撃にもあったし。

2度目の「伊計島」は沖縄本島と橋でつながっている島。アクセスはここもかなり悪いけれど、「伊計島ビッグタイムリゾート」の海や、伊計ビーチ、地元民しか行かないシークレットビーチ、どこも素晴らしかった。

特に、ビッグタイムリゾート。がんばって経営が続いてるんや、、、とちょっと感動。

ちなみに、私の「沖縄料理ブーム」は90年代後半からで、実際旅行中はほとんど沖縄料理を食べていない。初めて「苦瓜」(ゴーヤ)に対面したのが、友人のお父上の別荘の冷蔵庫の中。異様なその形相に驚いて、友人に「これなに?」って聞いたら、「にがうり。...不味いで」。おそるおそる冷蔵庫に戻した。



そう、九州は半分未踏地。だから、1回で済んだのでした。

これで、47都道府県の記憶をたどる旅は終わり。書き終わってから、別の記憶がよみがえることもあった。残りの人生、未踏地の県にどれだけ行けるのだろうか。行きたいという意思だけ旅に出られた頃とは今は違うけれど、これからできる縁を楽しみにしていきたいとも思う。

もしかしたら、長崎もちゃんと行ってるかも。


47都道府県の記憶 #12 徳島・香川・愛媛・高知

いらっしゃいませ、

四国を1回で廻りますよー。

★徳島県

1.2006年から、多分10回以上
2.「徳島ファド会」「徳島ジャズストリート」

2006年に徳島へ足を踏み入れるまでは、「未踏地」県のひとつだった。それから3年、年に4,5回は行ってないか?このブログにも徳島での出来事を多くつづっています。一度、ブログ内検索で「徳島」で検索してみてください。

なぜ徳島に渡ることになったか、については「T家のコラム」というのにつづっています。(「ファドヶ島」)

祖谷、宍喰、蒲生田岬、うだつの町、いろんな美術館、美味しいグルメ、いろいろ体験させていただきました。でも、まだまだこの県への行き来は続く、それを考えるのが一番楽しい。

次回は3月かな。「徳島ジャズストリート」へ。
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★ 香川県

1. 2002年ごろに3回ぐらい
2. 仕事

まったくプライベートな時間がない仕事だった。1回ほど夜ご飯を食べに出ただけで、あとはホテルでコンビニ食。夜、お店が閉まる時間が早いエリアだったのもある。

讃岐うどんは1度だけ。申し訳ないけど、私は「大阪うどん」が好み。香川の食の思い出は…なかったなぁ。

仕事の合間の週末に、「あじ温泉」に出かけた。この辺りは、「石の里」。石の採掘場、石工所が多い。宿に居ると、ときどき「どーん」という音と、軽い微震を感じる。宿の人に言ってみると「そうですか。ああ、そういえば」。毎日のことだと感じにくくなるのでしょう。私の飛行機の音に対するのと一緒かも。

★ 愛媛県

1. 2000年代に松山と奥道後温泉に1回。
2. 家族旅行。

岡山から、「しおかぜ」に乗って。遠かったなぁ。船が一番近いのかな、やっぱり。

奥道後温泉は、静かな山里と言う感。お湯もよかった。娯楽室で卓球台を見つけて、温泉ピンポンを楽しむ。
翌日は、しまなみ街道を2島(多分)歩いて、フェリーで再度四国側に戻った。
あの頃、足が痛いとは言いながら、母はまだそれだけ歩けたなぁ、と。

温泉に行くのはいいが、観光で疲れてしまう。それを考えて、その頃から温泉だけで後は何もしない、っていう旅行を考えるようになった。

★ 高知県

1.学生時代に1回。
2.初めての学生旅行。

なんで高知県にしたのか、なんだけど。龍馬の像(その頃は記念館はなかった)を見たかったのと、高知に行けば、どこへ行っても泳げるだろう、と軽く考えて。

船旅で酔ったし、高知の夏の日差しにボロボロに日焼けしたり、交通の不便さにいろいろ諦めたり、それなりに学生の旅をしたのだなぁ、と懐かしい。

土讃線で行ってみたい。

次回は九州。そろそろ終わりですが、一遍に9県、行けるか?

行けそう。





47都道府県の記憶 #11 広島・鳥取・島根・山口

いらっしゃいませ、

4県って言ったから、4県行きます。

★ 広島県

1. 90年代に1回、2000年代に1回。
2. 同僚たちと広島市内や宮島見物。青春18切符で尾道へ。

1994年だった。神戸の外資系企業内で働いていた頃、同僚たちと、プラス出向先(お客さん)の仲のいい人たちとで大きなバンを1台借りて出かけた。

メンバーは日本人4人、香港人2人(当時は返還前)、フランス人1人、中国人1人(あのオーストラリア人来てたかなぁ…覚えてない…)。同僚の日本人男子の実家が広島だったから、彼の発起での珍道中となった。

日本人である私にとっても、広島は初めてで、原爆記念館や平和公園はそもそも行っておかなくちゃ、という場所だった。外国の人たちと行くというのもまたとない機会だった。今、この時代に思うのだけれど、あの時アジアの人たちと行くのだ、という特別気負った気分がなかった。彼らが割とアメリカナイズされていたっていうのもあったのかもしれない、日本にあるアジア本部で働いているエリートだったから、っていうのもあり、反日感の全くない人たちだったからか。。。特に、中国人の女性(英語・日本語・北京語・広東語を解する、アメリカ現地雇いのエリート)は、「終わったことをいつまでもぐちゃぐちゃ言っていても仕方がない。今や将来のことを考えるべき」と平和公園を散歩しながら語った。それはかの国の人々の総意ではない。でも、1つの思いであることも確か。その朝のことを、今でもふと思い出す。

そのときの同僚だったフランス人のYvesは、今でも唯一付き合いがある。他の日本人とは全く音信普通なのに、不思議なものだ。でもまあ、私は彼が一番好きだったから、そうなっているのかもしれない。
Yvesとは、数年後、今度はフランスのノルマンディにある戦争記念館に行った。そういう縁があるのか、いや、これも私の嗜好だろうな、と思う。歴史は好きだし。でも見終わった後は、2人顔を見合わせて「お腹すいたね」だった。やれやれ。

2003年ぐらいだったかな、尾道に行ったのは。当時、写真を始めたばかりで、その頃モデルになってもらっていた友人のSちゃんと、いわゆる撮影旅行っていうやつだった。けど、結局は美味しいビールと食べ物を楽しんだ旅だったけれど。

「清水食堂」とうところに行った。まあ尾道では昔から有名なところなので、ググッてみてください。海辺の再開発の際に現在の所に移ってきたとか。私たちはそこしか知らないから、昔の店がどうのこうのというのはまあいい。ラーメンを食べて、それ以外はお魚をその場で焼いていただいて、ずーっと海を見ながら(といっても対岸がすぐ島なので運河みたいだ)ビールを飲んでいた。
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尾道、もう一回行きたいなぁ。Sちゃんと。

★鳥取県

1. 子供の頃1回。学生時代の合宿で1回。90年代に1回。2000年代に3回。計5回。
2. 鳥取砂丘・海水浴。大山。さかいみなと博。植田正治写真美術館等に3回。

なんといっても、「植田正治写真美術館」。初めて写真教室に行ったころ、先生にこの美術館のことを教えていただいた。その頃は自分が何を撮るのかでウロウロしていた頃で、プロの写真家の名前なんてほとんど分からなかった。そのクラスには知っている人もいたが、「福山が云々」と言っていて、「何で福山正治?」ってわけが分からなかったっけ。で、その頃、植田さんが亡くなったことも先生に聞かされたけど、そもそも知らないのだから、ふうん、っていう感じだった。

初めて美術館を訪れたのは、福山がらみの展示期間の頃だった。だから、「割と」人は多かったけれど、交通手段のあまりよくないところなので、たどり着くまで時間がかかった。でも、たどり着いたとき、そんなことは忘れてしまうような風景に出会える。初めての旅から、2回目の旅まで、自身にいろんなことがあった。でも、もう一度行きたいという気持ちを忘れることがなかったのも、その風景と一本の傘のため。そう、大雨にあって、大山ガンバリウスのお隣の酒造店で傘をお借りしたのだ。それを返す、という口実をおみやげにした旅でもあった。
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★ 島根県

1. 90年代に1回。2000年代に1回。計2回。
2. 家族親戚旅行で玉造温泉・松江。松江・出雲。観光。

松江城、小泉八雲記念館、一畑電鉄、宍道湖のしじみ、皆美の鯛飯、出雲大社、出雲のおそば、玉造温泉、松江温泉…一通りは観光でなぞったって感じで。もうひとつ、足を踏み入れたいいろんな魅力が残っている。どこへ行って、なにをすればそれが埋まるものではないのもなんとなく感じている。

日本人だからなのかな。別に愛国心どうのこうのというのとは別の空間で。
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★ 山口県

未踏破です。


中学生の頃からの幕末好き(司馬遼太郎のマイベストが「花神」と「世に棲む日々」なのだから)にも関わらず。思春期の頃「アンノン族 萩・津和野ブーム」が気色悪くて、それ以来旅行の候補に全く上がっていなかった。

今、ちゃんと調べて、ちゃんと行ってみたいところのひとつ。

4県行ったぞ!

次回は、橋を渡ります。


47都道府県の記憶 #10 兵庫・岡山

いらっしゃいませ、

明石海峡大橋を渡るか、渡らざるべきかで、しばらく悩む。

★兵庫県

1. カウント不能
2. 大学・仕事・買い物・観光

「神戸出身です。」って言う(特に)女性タレントに気をつけろ!
神戸と呼べるのは「神戸市」だけであって、他は「兵庫県xx市」とか「xx町」とかです。

尼崎や西宮は神戸ではない。わざわざ「神戸出身です」という人は、この辺りの出身の人が何故か多い。芦屋の人は、芦屋って言う、うん、確かに。他都道府県の人にわかりやすいから、だけではない、微妙なニュアンス。いっそ、「神戸県」だったらよかったのにね。

兵庫県は、神戸以外は本当に神戸ではない。とにかく広いし、海といっても港神戸の海だけじゃなくて、日本海もあったりする。

私は大学時代を西宮で過ごした。仕事で人工の島に通っていた頃もあった。この県との物理的かつ精神的関わりは、ある年のある日を境に全く変わってしまう。どんなに月日を隔てても、あの時以前の感覚や記憶が引き出せなかったり、あの頃あったこと、感じたことを出力することができないでいる。これからもしないと思う。私は中には居なかった。淵のちょっと外辺りにいたという気持ちが、気持ち悪く今もへばりついているから。それが消えることがないと思うから。

では、お奨めスポットを。

● 丹波篠山
ちょっとしたご縁があって、1・2年に1回は訪れる。大阪からちょっと車を走らせただけで、里山がにょきにょき生えたような美しい自然の中に遊ぶことができる。山深いところに、お蕎麦屋さんがあったりする。星や蛍も美しい(まだみたことないけど)。行くと、黒豆枝豆(枝付き)を買って帰ります。イノシシのから揚げも割りと好きです。

● 神戸グリーンスタジアム(今は何ていうのか知らない)
今は亡き「オリックス・ブルーウェーブ」の本拠地だったところ。今は全然好きじゃない球団が半分入ったから、試合をみにいくことはなくなったけど、野球を見るにはとてもいい球場です。特にデー・ゲームがお奨め。今はわからないけれど、ブルーウェーブ時代は神戸市の球団でもあったから、農業公園の朝どれの野菜を先着順に配ったりしていました。でも、白菜頂いてもこれから試合見るし、大阪まで帰るし、って泣く泣く辞退しました。

● 温泉
小野市の白雲谷温泉。 三田市のスーパー天然温泉のエステ。赤穂の「夕日の見える温泉」へ(くわしくは過去ブログ)で。
それと、忘れちゃいけない「有馬温泉」。そうそう、有馬温泉は「神戸市北区」です。

● 阪急西宮駅前のビアバー
店内禁煙、お昼ビールが気楽にできて、飲めない人はコーヒーで一服、お料理もおつまみも美味しい、お店があります。ビアカフェ・バーレー(Beer Cafe Barley)。女性一人でもオーケー。実際そんなかっこいい人もいたし、私も(かっこよくはないけど)1人飲みしたことあります。

まだまだありそうなのですが、なかなか出てこない。実際、京都・大阪もそうなので、思いついたらちょこちょこ追加します。

★ 岡山県

1. 倉敷・岡山に3回ぐらい。日生に3回。坂越に1回。
2. 観光。そういえば1回ぐらい仕事で行った。

岡山と言えば「倉敷」とか、「後楽園」とかしか思い浮かばず、実際行ったところはそこだけ、とかだった時期があって、近い感覚はあまりなかった。

ある年の年末、ふと日帰りの小旅行がしたくなり、「青春18切符」も使える時期だったというのもあり、ネットで近場を調べていたら、「蝦蛄が食べられる町らしいよ。」と何気なく言った私の言葉にポジティブな反応をしたのが、結婚前のK。その「日生(ひなせ)」に出かけて、蝦蛄をたらふく食べて帰った。

その後、友だちを誘って「蝦蛄の会」と称して出かけたりもした。牡蠣もうまい。「坂越の方がうまい」という情報を得て出かけたこともある。
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倉敷の地ビールレストランが、予想外にお料理が美味しかった。ビールももちろんいける。美観地区の中にあります(川べりではない)。店の名前は覚えていないし、名前が変わっているかもしれません。

今回は2つでちょっと疲れてしまいました。次回は4県行きます。


47都道府県の記憶 #9 京都・大阪・和歌山

いらっしゃいませ、

ご近所の府県だけど、でもいつでも旅気分。
あまりに身近過ぎるので、私なりのお奨めスポットなどを。

★京都府

1.カウント不能
2.お墓参り・観光・美術鑑賞・仕事

●錦市場
気がつくといつも来ている。あまり買わないけど、まあ落ち着く。長いので、時間も適当に潰せる。地方から来た人にも、好評だと思う。雰囲気を存分に味わうには、年末かもしれないのだけれど、ちょっと人が多いかな。

●伊根
冬がいいですね。「ぶりしゃぶ」の季節。うまい。道の駅でも十分。

舟屋の宿に一度泊まろうと思って、秋ごろ「1月の予約をお願いしたいんですが」って電話したら、「そんな先のことはわからない」と奇妙な返答。未だに謎です。

●淀
JRAの競馬場がある。円形のパドックがのんびりしていてよいのだ。糸杉も美しい。個人的には、阪神よりも勝率はよい。そもそも「勝」自体があまりないけれど。
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★大阪府

1.住んでる。
2.居住・仕事・何でもあり。

一口に大阪府と言っても、摂津の国や河内の国や和泉の国がくっついて出来ているわけなので、三重と同じで、同じ「府」としてくくれないし、同じにされるのが「微妙」という違和感がある。これは、どんな都道府県でもあると思うし、その違和感はそこに育って住んでないとわからないと思う。

だから、「県民Show」ってバカじゃないかと思う。

私にとって「異国である」大阪も含めたお奨めスポットをいくつか。

太子温泉
南河内郡にある。北に生まれ住む私にとっては、この辺りは異国。車でしか行ったことがないのだが、手前の峠を越えるときの景色が割と好き。温泉の泉質は、府内では最高ランクに入ると思う。お風呂自体は広くないけれど、とても温まる。ロビーの感じは、その辺の新しいスーパー天然温泉銭湯とは一線を画している。

みさき公園
幼少の頃、初めてキリンを見た動物園がある。ここも大阪府の南の端っこ。海も湾の南端なので豪快感がある。2、3年前に行ってみた。なかなかがんばってるアミューズメントパークである。絶対なくならないでほしい。

●伊丹空港
ここは、私の文化圏内。ここから歩いて20分あたりのところに実家がある。飛行機の音、それも飛んでいる音ではなく、滑走路を走っている音を聞いて日々を過ごした。今住んでいるところは、そういえばしないな。
関空が出来て、一時期ものすごく廃れた。店も減って、開いてる区画でバザーみたいなこともやってたな。改装されておしゃれなデッキなんかが出来たけど、あの廃れきった頃の感じが、実は一番好きだったりして。
今は、関西の3つの空港の中で、一番使い勝手がよくて、デートにも最適なスポットですよ。いや、意外に。

●阪急石橋駅周辺
月並みな言い方だけど、青春時代を過ごした場所。大してその頃と変わっていないところがまたいいのだな。人に薦めてどうかって話だけど、昭和しているからそんなのが好きな人にはいいかも。

★和歌山県

1.カウントできないこともなさそうだけど
2.観光、徳島行きのフェリーに乗るため

すさみ温泉がよかったな。みなべもいい。温泉はいいところがたくさんある。川湯、渡良瀬。食べ物も美味しい。海産物だけでなく、すさみの「イノブタ」なんていうのもある。

渡良瀬温泉に行くのに降りた新宮駅前で、ふっと入ったお店のかに寿司がうまかったなぁ。そういう何気ない処です。

ただ、「オーシャンアロー」が苦手だ。すごく揺れるので。新宮に行ったときの電車も酔ったなぁ。でも南へ行けば行くほどこの県は面白いから…

最近の一押しといえばやっぱり、「天空」でしょ。






47都道府県の記憶 #8 三重・滋賀・奈良

いらっしゃいませ、

昨日・今日と、ここらあたりが警報まみれで。。。

★三重県

1. カウント不能。
2. 修学旅行、仕事、お伊勢参り。

なんといっても、この県でひと夏仕事をしたこと。ずっと滞在したのではなく、大阪からその都度、日帰り・1泊から2泊、の繰り返しだった。いろんな街へ行った。

津・松坂・鈴鹿・志摩・伊賀・尾鷲・熊野

行く地域ごとに全く異なる雰囲気がある。それを仕事先の地元の方に話すと、

「そうでしょうね。三重はもともと四つの国でしたから。」

伊賀、伊勢、志摩、そして熊野の一部。

今も思い出す、JR尾鷲駅周りの、時間が止まったような「夜の街」が、フォトジェニックで私の「ツボ」だった。残念ながらその頃は写真を始めてなかったけれど。

熊野灘の壮大な太平洋の風景、松坂の駅裏のホルモン焼き、途方にくれた伊勢うどん、も再訪したいツボ。
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ちょっと旅気分したいとき、近鉄特急でフラっと行ける所がまたよいのだ。

★滋賀県

1.カウント不能
2.すべて日帰りだけど「観光」、「お墓参り」

湖西が圧倒的に多い。あるとき、雄琴温泉の「あがりゃんせ」という温泉にふと 興味を抱き、出かけてみることに。実はこの「雄琴温泉」、ある一定の年齢以上の世代には 微妙な響きがある。大きな声で言っていいかわかんないけど、

「トルコのメッカ」

今は「ソープランド」ちうネーミング になっている「施設」は、昔昔「トルコ風呂」と呼ばれていた。 雄琴はいわゆる「トルコ風呂街」。「温泉」に、エッチな意味が 妙に含まれていた時代。そう、雄琴といやあエッチなふーぞく街というイメージが払拭できない世代に、実は私はいる。 そーゆう世代ではないダンナに、「あがりゃんせ」に向かいながら説明する。

しかしながら、あとあと私がかなりな思い違いをしていたことを知る。雄琴の風俗街はすっかり廃れて、今は本来の天然温泉の街として生まれ変わったと思っていたのだけれど、実は2つのエリアは少し離れているのだ。帰りに坂本駅までタクシーに乗ったときに、その「街」のネオンが目に飛び込んできた。 廃れてる?...いやいや。

で、話は「あがりゃんせ」に向かう道に戻るが、その時私はある映画の話をした。

「タイトルは忘れたけど、雄琴のトルコ嬢が琵琶湖の周りをマラソンする、っていう映画が昔あってん。」

私はその映画の予告編を、RT(りあるたいむ)で映画館で見たのだけれど、とても金を払って見たいと思うような出来ではなく(予告編だけで十分そのくらいはわかる。)、実際1週間くらいで打ち切りになったらしい。

「その映画のこと、聞いたことある!」

ダンナが反応する。 で、その映画が、

幻の湖」(1982年東宝)

であることが判明する。 で、どうしたか。 DVDで見た。 映画としてどうとか、の感想はこの際やめておく。 ただ、不思議に身体に残る映画だった。

それは、1980年代前半の風景。 まだ、びわ湖タワーがあり、道の駅はなく、そして東京も そう、私が初めて足を踏み入れた頃の姿形。 映画というのはもちろん「ストーリー」であり、俳優の「演技」であり、「シーンの組み合わせのセンス」でありなんだけれど、その時代の風景をきっちり撮る映像 技術が駆使されていれば、生き残る価値はあるのだと思った。

まあ、でもそこだけの映画。宇宙遊泳のシーンは気の毒なほどショボイ技術でした。 「そもそもなんで宇宙遊泳がでてくるのか?!」 興味のある方は、DVDレンタルされてますので、ぜひ。

この映画に出てくる「尚源寺 十一面観音立像(国宝)」(JR高月から徒歩)、見に行ってしまいました。こちらは湖東です。
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高月の町並み。









★奈良

1.カウント不能
2.遠足、観光(特に花見)、仕事

仕事で「近鉄奈良線」はよく使った。瓢箪山駅を過ぎたあたりから、標高があがって行く。左に折れるので眼下に大阪平野が見渡せる。関西の私鉄でここまでダイナミックな風景を持つのはこの線ぐらいか。(南海も高野山あたりまでいけば...)

あまり奈良市内には行っていない。だいたいが仕事先の近鉄沿線、それと少し遅い時期の花見スポット。奈良県出身の人に勧められた「奈良の桜スポットベスト4」が、

● 又兵衛桜
● 仏隆寺の千年桜
● 屏風岩公苑の桜
● 大野寺・西光寺の桜

かなり偏ってはいます。又兵衛桜以外は出かけた。かなり奥地なので、でもって車で行かないので、何十分も歩いて着いたときの感激もひとしお。ただ「満開時」にきっちり行けないときもあるし、天候が悪くいっこうにぱっとしない時もある。一時期、毎年奈良の山桜にチャレンジしていた。最近は足が遠のいた。自分の脚力にも自信がなくなってきている。

そうそう桜の下で、三脚おやじの集団とケンカしたっけ。大嫌いだった、観光地で三脚立てて写真撮る奴ら。そいつらは本当に「邪魔だ、どけ!」って言い抜かした。「邪魔なん、あんたらやろ!」って言い返した。今でも三脚集団は大嫌いだ。

本当に、誰もいない時の桜を撮りたかったら、朝早く、1人で来い。

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天川村

47都道府県の記憶 #7 福井・愛知・岐阜

いらっしゃいませ、

どこかとばしてる都道府県ないですよね?

★福井県

1. 90年代なかばに芦原温泉、わりと最近「青春18切符」で敦賀へ。2回。
2. 家族&親戚旅行。滋賀の「梅津大崎の桜」を見た帰り。

以外に近い割りに行ってないもので。おまけに敦賀は京都だと思い込んでいた。。。

芦原温泉・東尋坊・永平寺・竹細工の館...普通に観光。1月に行ったのにえらく暖かかったのを覚えている。東尋坊は、日本海の荒海を期待して行ったら、凪。波は岩の下でチャポチャポしていた。

この頃まで家族で温泉に行くときは、父が「あそこの旅館がよかった」というウン十年前の記憶と思い込みだけで宿を選ぶことが多かった。当然建替えられていたり、経営者の代が変わっていたり、それならいいけど老朽化や斜陽になっていたりしているわけで、「こんな宿じゃなかった」とむくれることになる。芦原温泉の宿もぐちゃぐちゃ言ってたなぁ。次ぐらいから私がWensとかに行って(まだネットが牧草地状態だった頃で、宿の総合情情報サイトなどなく)、お奨めの宿を聞いて選んだものだ。

敦賀は、梅津大崎へ行った後、滋賀県を突き抜けちゃえ!と北行きの電車に乗った。新鮮な海のものを食べて帰る、なんて贅沢なの。ところがJRの駅近にはさほど店がなく、後で調べたらやはり国道沿いのほうが充実していた。「へしこ、へしこ」って騒いだわりに、結局食べたのかどうか、全然覚えてない。

★愛知県

1.多分10回以下。
2.半分仕事。日帰り多し。

ほとんど名古屋市内だったのだけれど、最近「岡崎市」「豊田市」にも。
学生の頃、友だちのお父さんが名古屋で単身赴任していて、友だちも春休みの間名古屋でバイトなどしていたことがあり、3日ぐらいお世話になった。そのときに、名古屋城・栄のパチンコ屋・明治村などメインなところは押さえてしまったので(他にもあるやろ!)、満足したのかその後は観光にどこか行くことはなかった。

最近は、現代美術家の手塚愛子さんの作品が愛知県でよく展示されるので、日帰りで鑑賞に出かけることが多くなった。そのたびに、何故かJR名古屋駅のタカシマヤの「鼎泰豊」(ディ・タイ・フォン)で昼ごはんを食べている。大阪や京都にもあるんだけど...まあ、知ってる味だから、っていうのもある。大阪の人間である私は、東京や名古屋で(食に関して)冒険ができない。冒険するときは、「冒険しよう!」と意気込んで冒険するのだ。

味噌煮込みうどんは、多分もう食べないと思う。

★岐阜県

1.馬籠(妻籠)に1回。高山・奥飛騨温泉郷に1回。場所はわからないところに1回。大垣に1回。計4回。
2.観光・テニス合宿・お見舞い

「岐阜って行ったかなぁ。。。テニス合宿で1回あるかなぁ。」
岐阜の市街を通ったのがこのときだけだったので、そんな思い込みがあったが、調べてみると、
「高山!」
「馬籠!」

馬籠→妻籠(長野県)は、名古屋からバスで。前述の学生時代の名古屋旅行のときだ。そりゃ岐阜県とは気づかない(言い訳)。馬籠から妻籠は徒歩だった。旧中仙道を友人とてくてく歩いた。初春の香りが芳しかったことを覚えている。ただ、遠かった。「近いよ」と主張する人もいる。私の記憶では遠かったのだ。まあ、ちんたら歩いたんだろうと思う。妻籠に着いたら夕暮れが近かった。なのでざっと回っただけで、帰りはバスに乗った。そんな時間だったからか、人気も少なく、短い滞在ながら個人的には妻籠の方が気持ちになじんだようにも覚えている。

奥飛騨温泉郷は、まさに「おやじギャル」(死語!)してた90年代初頭だった。かなりの数の温泉めぐりをしたなぁ。ノンストレスな旅仲間に恵まれていたこともある。友人が選んでくれた宿は「山のホテル」。それも「卒業旅行パッケージ」。青春18切符と一緒で、年齢は確認されることはありませんから。卒業旅行パックには、夕食時にワインが付く。一杯入ったところで川べりにある大露天風呂に入る。男風呂の方が広いことに気づき、さらに誰もいないことに気づき、境界にある扉を開き(女性側からのみ開けられるようになっていた)、しばし楽しむ。友人たちはハラハラしていたけど。部屋に戻って、高山駅周辺で買い込んでいたビールを開け(「学生」なんだからいいのだ)、気がついたらみんなすぐ寝てしまった。朝確認したところ、20時ぐらいだった。

未だに彼女たちと会うと、このときの話を何故かする。

47都道府県の記憶 #6 新潟・富山・石川

いらっしゃいませ、

もう半分くらい行った?

★新潟県

1. 90年代に妙高1回、十日町に2回(2006、2009)
2. スキーと、「越後妻有トリエンナーレ 大地の芸術祭2009」

トリエンナーレが初めての新潟かと思っていたら、スキーで一回行っていた。「妙高杉ノ原スキー場」。すごく長いコースで、途中でコースを間違えると、電車で言うと一駅乗らないと正しいコースに戻れない。先導の人がずんずん間違った方に行くんで、引き返せーと叫べども、スキーってそれが無理なんやね。結局リフトで戻る。そもそも、初級者用のコースが雪解けで使えず、モーグル用のコースを降りる羽目になったので、私が1時間以上かけたからそういうことになったのだけれど。。。あれ以来、スキーは一度もしてない。もう無理だろうなぁ。

泊まったペンション「ゆーかまーか」は食事も美味しかったし、居心地よかった。調べてみたら今も健在みたい。まあ、納得できる。リピータも多いのだと思う。スキー好きではないのでリピートはできなかったけど、春や秋の植物が美しいですよ、とのお葉書を戴いたこともあったように思う。

トリエンナーレについては、まとめて書いてありますので、こちらを。
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2006年夏、直江津の「岩ガキ」












★富山県

1. 高校生の頃高岡に1回、90年代に立山に1回、2006年に糸魚川で昼食
2. 家族と親戚めぐり、観光

父方が富山の出。父の叔父とか叔母とかのつながりで、私にしたら精神的に遠い。家族で行って、親戚の家に泊まったり、あいさつまわりするだけなので、ティーンエージャーの私には苦痛以外なにものでもなかったのはいたしかたない。

主に泊まったのは「笹津」という町、というか、あれは村だ。駅舎を出ると、ひとっこひとりいない閑散としたロータリーが真夏の炎天下の中に、ダランと横たわっている。キリコの絵画みたいに。駅を出ると田畑しかない。

夜は気温が下がるので、窓を開けっ放しで寝る。風が強く、大きな木が一晩中ごぅごぅと音を立て、なかなか寝付けなかったのを覚えている。田舎の古い家が怖いのは、この時の体験からなのだろうか。

そういえば、2006年のトリエンナーレの帰り、乗り換えのため糸魚川で降りて昼食を食べた。地魚のお造りを頼んで、Kは珍しく冷酒を飲んだ。外で自分だけでそうやって日本酒を飲んだのは、このときが初めてだったかもしれない。こういう旅が最初だったら、印象は違ったんだろうな。
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★石川県

1.80年代に白山へ、金沢へ90年代に2回、和倉に1回、2005年に金沢に1回
2.スキー、観光

白山は、お豆腐、これに尽きる。ずっしりと硬いお豆腐を、わさび醤油だけで食べる。「日本人としての食」を初めて意識した瞬間のように、今思うぐらい。

家族で行った金沢は、湯涌温泉の「白雲楼」に泊まった。バブルの真っ只中。皇室専用の別館もあった高級温泉旅館は、今はもうない。2005年に湯涌温泉に行ったとき、朝の散歩がてら訪ねてみた。廃墟好きにはたまらない写真スポットになっていた。少し悲しくて、山を降りる。おそらく従業員用の家屋だったところも朽ち果てていた。

金沢は好きだ。これからも何度でも行きたい街。一度、春の桜の頃に行ってみたい。

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今回(も?)、食べ物の写真ばっかりだな。

プロフィール

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女性
自己紹介:
被写体に恋をしたらシャッターを押し、フワフワしてきたら文章を書き、もわもわしてきたら花に水をやっています。
写真のこと、旅のこと、本のこと、言葉のこと、音のこと、などを描いて撮ってます。

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