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Hōkele Malama Columns

親ページが「Residencial Azul」から「Hōkele Malama」に変わったので、このBlogのタイトルも変わりました。渾身の(とまではいかない)Columnページです。

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確かに、「三番目に大事なもの」だった。

いらっしゃいませ、
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しばらくいろんな土地のホテルをめぐっていただきましたが、ちょっと休憩。でも、昔のことを思い出して書く、という作業は実際面白いもので、特に今はインターネットがあるので「事実」を確認もできるし、それが自分の記憶(真実)を喚起することもある。そのときに書くこともそれはそれで新鮮な思いが伝えられるのだけれど、その後に体験した人生や旅を経てから書くことで、客観的にそのときの自分を見つめられる。でも、しょっちゅうやると疲れる。うん。

6月が終わろうとしている。1年の半分が過ぎた。自分の人生に、とても大きな、もしくは、意外に大きな影響を与えた人が2人亡くなった。忌野清志郎さんとMachiel Jacksonさん。

多くの人がそれについて語り、それについて書き綴った。接点が大きかった人々の中には、それをしなければいけない職業の人や立場の人もいただろう。それが辛かった人に私は共感する。また、2人との接点があまりなかった人(音楽的に、時代的に)もいただろう。それを正直に吐露する人も私は理解できる。

でも、後者でありながら、適当な言葉を並べた文章を多く見た。まあ、これも立場上・職業柄必要だったのかもしれない。でも、言っていいですか。

Disgusting!

「ショックです!ご冥福をお祈りします!」
って言ったり書いたりする前に、客観的に自分とのかかわりを何か1つでも思い出して、それを綴って欲しい。それが、「なにこれ?この人のこと知らないんじゃない?」って反応を生んでも、適当な文字並べよりずっと伝わると思う。それもなければ、出会いがなかったことを正直にあらわすか、黙っていた方がいい。

旅と同じで、生きてきた中で無数にであう事象。出会った時には読み捨てられて行ってしまったことも、何年も十何年も、何十年も後、思い探ることで意味を持つことがあるんじゃないかって思う。

私はプロじゃないけれど、ずーっと音楽がそばに居た。あら、私の方が聴いてる、って、その辺のプロの人と話していて驚くこともある。けっこう、そういう人私の周りにも多い。世代的に、自分から探していかないと情報がつかめなかった時代に生きてきたからかなぁ、とも思う。ファンじゃなかったとしても、前述のお2人のことを、彼らは十分綴れるし語れるだろうけれども、まだ誰も語らない。

もう少し時がたったら、そんな人たちと、ぽつぽつとお話してみたいと思う。
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Those Hotels #4 画家の名前ホテル その2

いらっしゃいませ、

画家の名前ホテルその1を書いた後に、なにかぽわーんと抜けていたのか、頭の中が支笏湖に飛んでしまっていた。ブログをじっくり眺めて気づく。じっくり眺めないと気づかないものどうかと思う。

荘厳とか、壮大とか、雄大とか、猛々しいとか、優美とか、そういう形容詞が邪魔くさくなってくるようなモノっていうのがある。音楽とか映画とかでもあるかな。ステキ!とかすばらしい!とか感動しました!とかの文字の羅列は、ごみの日に持っていってほしい、とまで思ったこともある。形容詞を使わずに思いが表現できれば一番よいのだろうけれど。

そう、そんな形容詞が火曜日の燃えるごみの日に消え去るような「サン・ビクトワール山」の視線を痛いほど背中に受けながら私たちはエクサン・プロバンスを離れる。マルセイユで乗り換えて、アルルへ向かう。私にとっては10年ほどのブランクの後の2度目の町。その間に、ピーター・メイルの「南仏プロバンスの12ヶ月」が出版され、大ブームとなった。実は私自身この本を買って、10ページも読まずに今回の旅の連れであったMちゃんに貸した。Mちゃんはちゃんと読破した。なので、彼女のほうが、南仏のミストラルやきのこの見分け方や南仏料理には詳しいのだ。

私と言えば、そういえば10年前にそのミストラルと呼ばれるもの、を経験していたかもしれない、っていうだけだった。11月の末にパリと南仏を訪ねたのだが、「当然南の方が暖かいでしょ。『南仏』っていうぐらいだから。」という意味のない確信だけをもって、比較的その時温暖だったパリを、更なる薄着を身にまとい、離れたのである。アルルからカマルグを抜けて、サン・マリー・ドゥ・ラ・メールという地中海に面した小さな村にたどり着く。突き抜けるような雲ひとつない青空。そして強風。だから雲がないのだ。おまけに雪まで舞い始める。すべてのアクティビティは10月末で終わっている。海辺の人気のすくないレストランで、雪を眺める。ただし、この雪は地元の人にも珍しかったようだ。「こんな寒い日にわざわざどこから来たの?」っていう店の人の、それでも暖かい視線を感じたものだ。

さて10年後、アルルに着いた私たちは、10年前に私が泊まったホテルを訪ねてみる。ん、高いぞ。それから、「地球の歩き方」で評価の高かったかなり経済的な宿に行き、部屋を見せてもらう。Mちゃんがあまり乗り気ではない。彼女はやはり駅近で先に見ていたホテルに気持ちが残っている。あ、これはエクサン・プロバンスと同じパターンだ。宿のおばあさんはやさしそうな人だったので、断るのはしんどかったけれど、Mちゃんは先に外に出てしまっていたので、「友達が暗くてこわい、って言ってるので」って、理由に使わせてもらう。これも言わば、「役割分担」なのだ。うそではないし。

駅近の広場に面した、最初に目をつけていたホテルは、その名も

「Hotel Terminus et Van Gogh」

今度はかの「ヴァン・ゴッホ」である。1つ星。安い。一応シャワー・トイレつきの部屋にしたものの、それらにはドアはなくカーテンで仕切られているだけ。けれど、清潔だったし、悪い印象はなかった。宿のおじさんも気さくでやさしそうな人だった。

もともと、このホテルのあったあたりにゴッホの有名な「黄色い家」があったらしい。第2次世界大戦で焼けて、区画が変わっているが、うっかりするとこれがその建物か!?って勘違いしそうだ。うん、勘違いだ。このあたりは他のもホテルがあるから、同じ場所からの風景を求めて旅する人も多いと聞く。
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黄色い家の「ゴッホの部屋」の絵は、パリの印象派美術館(現オランジュリー)やオルセー、日本でも観たと思う。日本で見たときは、おばさんたちが「やっぱり広い家に住んではったんはやなぁ」と感嘆していた。
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う、うん、日本人の感覚から言ったら、広いのか。どうだ。

とにかく、この町でもゴッホづくしになる予感が体を満たしたのは、案内された部屋が「ひまわりの間」であることを知った時だったかもしれない。隣は「アイリスの間」だった。ここには、オランダから1人ゴッホ巡礼をしている男性が泊まっていた。これは正しい。ゴッホはオランダ人なのだ。このあたりからエコール・ド・パリと、有名画家を、フランスは全部取り込んでいるから(別にフランスが悪いわけではないのだけれど)、似たような誤解で、ピカソがスペイン人というのを知らなかった人もいる。パリの「ピカソ美術館」で、その女性は大きな声で「え!ピカソってスペイン人なの?」と叫び、次に私の冷たい視線に気づき(日本人が居ない気楽さで口に出してしまったらしいが、ふふふ、ちゃんと居たのだ。)、そそくさとその部屋を出て行った。

オランダ人男性は、アルルに来たことをとても嬉しそうに語っていた。はやり郷土の誇りなのだろう、ゴッホさんは。生きているうちにそうして欲しかった、なんてことは、私らには言う資格はない。

しかしながら、どんな国のどんな町でもあることなんだけれど、ちなんだ土地や絵が描かれた場所なんかには本物の絵はないことが多い。小さな自治体には高価な絵を得たり、維持したりすることが出来ないのだろう。エクサン・プロバンスにもなかったし、アルルにもなかった。でも、「ゴッホ記念館」なるものが出来ていた。もちろん入らなかったけれど。10年前にはなかった代物だ。ただし、ゴッホの絵ははい。

ゴッホが居た町を訪ねたくて訪れた10年前の旅。その時に思いはすべて満たされたから、今回はただただ旅そのものを楽しみたくてきた。せっかく本を読んでくれたMちゃんにも、プロバンスを満喫してもらいたかった。にもかかわらず、町はプロバンスブームとゴッホをかき混ぜて浮かれていた。まあ、これも旅の醍醐味、と言うわけではないが、ムール貝をバケツいっぱい食べよう!と入ったレストランも、「ゴッホ」の名前が付いていた。思わず苦笑い。

が、この旅の終わり、パリに戻って数日を過ごした後、私は「オヴェール・シュル・オワーズ」、ゴッホ終焉の地へ1人足を伸ばしてみた。アルルのゴッホまみれにやられたわけではないけれど。。。彼の最後の部屋は、この村では現存していて、中に入ることが出来る。「バスで連れてこられた」風情の不機嫌な日本女子2人とこの部屋に入った。展示物の椅子に座るなど傍若無人な振る舞いをしていた奴らだったが、1人でこの部屋に入ることを考えたら、まあ仕方ないか、と思った。1人で居るには、ほんと、ちょっとしんどいと思う。

そしてこれも何かの縁なのかもしれないが、Mちゃんと最後に行ったイタリア旅行で、旅行会社の勘違いでアムステルダムに1泊することになり、「ゴッホ美術館」に行く時間を得ることができた。今、ほとんどの絵画が、彼の故郷であるオランダにある。ゴッホ財団については色々批判もあるけれども、ある意味正しいことのようにも思う。

で、後ろにふんぞり返るぐらいゴッホの絵を貪り食った。何かが終わった気がした。とても陳腐な言い方に聞こえるけれど、本当だからしょうがない。ゴッホへの長い旅が終わったのだ。

Azulの新しいメニュー

いらっしゃいませ、

ちょっとホテルのお話は休憩。

Residencial Azul トップページにメニューを追加しました。

猫と一緒にポルトガル語」 です。

去年の9月から、こじんまりと勉強会を続けていて(ちょっと冬・春は小休止)、その内容を毎回mixiに載せていたのですが、割とがんばって書いているし、mixiは友人の友人までしか公開していないので、もうちょっと多くの人の目に触れてもよいかなぁ、と思い、新ブログに転載してみました。

今年の2月ごろまであるのですが、ちょっとずつアップしていきます。猫の写真もあるので、ポルトガル語興味なくても、時々開いてみてくださいませ。

Those Hotels #3 - おひとりさま

いらっしゃいませ、

ひとりでホテルに泊まることは多かった。まず仕事の場合はたいていビジネスホテルに1人。海外旅行でもけっこう1人で泊まった。そういう行為に違和感はまったくなかったのだが、「日本の旅館に女1人で泊まる」経験はなく、「おひとりさま」時代になっても、けっこう嫌がられることもあり、泊まる側にも躊躇があり、宿選びはかなり慎重になる。
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北海道へ1人で行く機会があった。Esquina do Somと鹿糠ちはるさんの札幌ライブがあり、札幌に行ったことがなかったし、夏休みを利用して出かけることにした。札幌は別に問題ない。都市のビジネスホテルにはシングルルームはいっぱいあるし。ただ、札幌だけで過ごすのはせっかく北海道に来たのにもったいないと思い、近場で「北海道らしい」ところを探し、比較的空港と札幌に近い「支笏湖」に目をつけた。

このとき、「いとう温泉」に決めたのは、確か「女性一人お泊りプラン」がその時あったからなのだ。食事を取るダイニングも、なんとなく昔のユースホステルや国民休暇村っぽい。気兼ねもあまり要らなさそう。

千歳に降り立ってから、バスで支笏湖に向かう。曇天。支笏湖についた頃には、かなりな雨。湖の周りには散策スポットがいろいろあるのだけれど、コロコロをひっぱって傘をさしながらでは、いけるところも限られる。だいいち、景色が見えん。バス停付近の町?には飲食店もあるのだが、この天気もあって閑散としている。一人旅というのは微妙なもので、にぎわっているところで1人でいるのも落ち着かないが、人気のないところに1人でいるのもやはり落ち着かない。チェックインの時間には早すぎるけど、宿に電話をかけ迎えに来てもらうことにした。「確か宿には『湖の見えるレストラン』があったはず、宿の中なら1人でも落ち着いて食事ができる。」と踏んでいた。

で、やってない。「軽食ならお部屋にお持ちできますが」と言われてメニューをみると、うどんやカレーなどほんまに軽食。北海道最初の食事がうどんてか?って、かなりがっかりしたけれど、おなかは空いていたし背に腹は変えられない。おひとりさまは、ひとり湖が見える(湖しか見えない)部屋でうどんをすする。でもこれが、なんというか、美味かったんだからしょうがない。

食べ終わったところで、何もすることがないことに気づく。大雨の中露天風呂には入りたくない。何せ、ここのお風呂は、「活火山恵庭岳の真下の湖岸に自噴している源泉を薄めず、沸かさず、循環せず、その湯船に注いでいる」。循環しないそのお湯は再び湖に流れ落ちる。そんなお湯を、あたかも湖に浸かっているように体感できる。雨の中はさすがにきつい。
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本を一冊も持ってこなかったのが不覚。部屋にころんと寝転がる。そのままうとうとする。雨の音しか聞こえない。湖のせせらぐ音はかき消されてしまったのか。溺れるように眠りに着き、そして目を覚ます。1,2時間は眠っていた。そういえば、こんな時間を持つこと自体、ここ数年なかった。網戸越しに外を見ると、雨がほとんど上がっていた。
遠い音がいつしか無音となっている。そうか、湖には波は立たない。
カメラを持って湖畔に出る。白人男性のお客さんと挨拶する。そういえば、この旅館のサイトは英語バージョンもある。野趣あふれすぎのお風呂を楽しんだ後、昼食のリベンジのような晩御飯。確かに連れがいればもっと楽しいのだと思うが、ひとりがつまらないわけでもまったくない。おひとりさまは気まぐれなのだ。自分の心にまかせられるのが居心地がよい気がする。

翌日、札幌行きのバスまで時間があるのでこの辺りで短時間で観光したい、ということを宿の人に相談すると、マイクロバスで案内してくださるとのこと。翌日は天気は一転、ピーカンだ。バスに乗り込むと、例の白人男性がいた。学会か国際会議かで仕事で北海道に来たのだが、せっかくだからと前入りして観光を楽しんでいるのだとか。これから洞爺湖に行くらしい。宿の運転手さんは英語が全然わからなかったので、別れ際に「助かりました」と逆にお礼をされてしまう。無料で案内いただいたのにこちらも恐縮。確かにひとりだと、他の旅人と話す機会がぐんと増す。(海外旅行は別だけど。特に日本人の若い女性グループは話しかけても無視されることがしばしば。)
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彼らと別れてひとりバスで札幌に向かう。札幌でも、すすきのをひとりぶらついたけれど、小樽でもひとり遊覧船に乗ったけれど、支笏湖での心地よい落ち着きのなさをもう感じることはもうなかった。







支笏湖 いとう温泉

Those Hotels #2 -画家の名前ホテル1

いらっしゃいませ、

なんでこのあたりに来るときはいつも私は金を持ってないの?

パリに着いた初日に、モンマルトルの駅で財布をすられる。現金わずかと、20フランのTC、クレジットカード、それと地方銀行のキャッシュカード。クレジットカードはすぐカード会社に連絡してひと安心だったが(割とそれまでの人生で、何度かクレジットカードを失くしているので、その後の処理は慣れていた)、それでもそれはそれ旅の空の下、かなりパニックに陥った。連れの1人に「こんな慌ててるJさんみたことない」とまで言われる。地方銀行のキャッシュカードは、なぜそんなものが財布に入っていたかすら記憶にないぐらい使ってないものだったし、TCはサインなしだから、結局彼ら(犯人らしき若者グループを友人が目撃)はわずかの現金を手にしただけだったけれど、まあビール1杯ずつぐらいは飲めただろう。でも、その後、TCが戻ってくるまでの私の労力を考えたら、ものすごく腹立たしかったけど。

だから、翌日パリを離れてプロヴァンスに向かう朝、もう1枚のクレジットカードとTCのほとんどをホテルの金庫の中に置き、現金だけ財布にいれたのだ。「たしかあっちはホテルもそんなに高くなかった」

その旅からさかのぼる10年前に、同じようにパリのホテルに荷物を置いて、プロヴァンスに向かった。そのときもカードを置いていった。初めての旅で、移動中に落としたりしたら大変だ、と現金だけで出かけた。

そう、確かそのときも、いつもお財布の中身を気にして、ろくに買い物もできなかった。なのに、、、そんなことをすっかり忘れてというわけではないけれど、10年という歳月と、「南仏プロバンスブーム」をみくびって出かけてしまったのだ。物価がかなり高騰していた。

そんなわけで、その旅でも、私は連れにお金を借りることになる。それだけでネガティブな気持ちになってしまう。パリですぐ返せるからもっとさっぱりきっぱり貸してもらえばいいのに。この辺とてもじとじとしている。

そんな私のじとじと心と共振するような雨に煙るマルセイユで乗り換えて、ローカル線でエクサン・プロヴァンスへ向かう。どの線に乗ったらよいのか、ホームの人に尋ねる。わさわさと人が集まってくる。中学生ぐらいの子も多い。きっと今日の夕食の席で、「困っているアジア人が、へんてこりんなフランス語をしゃべるんだけど、あたしわかったから教えてあげたの」とか言うのだろう。教えてくれたのは大人だい。でもありがとうね、いろいろ横からわいわい口出してくれたし。電車の中でもジプシーのご夫婦に降りる駅を教えてもらった。フランスであまり嫌な目にあったことはない。あかんのは公共施設の窓口とか、そういうところの人だ。でもそれは他の国でもある、フランスに限ったことじゃない。

エクサン・プロヴァンスに着くと雨が上がっていた。駅から街へ続く坂をあがる途中に、こじんまりとしたホテルを見つけた。

Hotel Paul Cezanne

いろいろ調べてみたら、今は別の経営になったか、移転したか、改築したかで、場所や外観が私の記憶とまったくちがっているが、その頃は落ち着いた内装の、きらびやかではないが上品な雰囲気のホテルだった。一応チェックをしてから観光案内まで歩いて行って他のホテルもチェックする。友人が「やっぱりあそこがよかった」というので(お財布係は彼女だし)、私も異存なくまた坂を下る。2つほど部屋を見せてもらって、彼女が窓のある方がよい、と高いほうの部屋を取る(お財布は彼女だし)。

いうまでもなく、エクサン・プロヴァンスといえば、「ポール・セザンヌ」だ。そんな名前のホテルに泊まることが、少し面映く、また愉快だった。ホテルを出て、有名な町の中心にある噴水広場を突っ切り、大通りを歩き、規則があるのかないのかわからない路地を登り、プロヴァンスらしい商品が並ぶ店を冷やかし、青空市場の色彩を楽しみ、さてポール・セザンヌのアトリエを目指してまたさらに坂を上る。せっかく「ホテル・セザンヌ」に泊まってるんだし。未だに、私たちはアトリエにたどり着いていたんだろうか、というあいまいな記憶しか残っていない。その日は月曜日だったので、アトリエがしまっていた、とつい最近まで思っていたが、先日BSでエクサン・プロヴァンスの旅紀行をやっていたとき、そのアトリエの外観自体にまったく見覚えがないことに気づいた。「私らは、何を見てアトリエは閉まってると思ったんだろうか。。。」記憶というのは一人歩きするものだから、まあそれはそれでいい。行けなかったという事実だけはある。

その代わりというか、私たちは翌日、ポール・セザンヌといえばこれ、でも彼のアトリエよりももっと大きなものに会いに行く。

「サン・ビクトワール山」

何を思ったか、その山を見に行こうとバスに乗った。べつにサン・ビクトワール山絶景ポイントなる観光地があるわけではない。「この辺まで行ったら見えるだろう」っていうところまで取りあえず行く。二十歳そこそこの若いバスの運ちゃんがビュンビュン飛ばす。歯を食いしばりながら手すりに掴っているうちに、友人が、わっと振り向く。「あれ!あれ!」

今までにまったく見たことのない形相の真白き山。見たことがあるといえば、セザンヌの絵の中だ。確かに、彼の絵が一番よく「似ている」ような気がした。

エクサン・プロヴァンスの街で買ったチーズやパンを、屋根のあるバス停のベンチで広げてほおばり、後は何をするわけでもなく(どこかへ向かったら二度とバスに乗って街に帰れないような気がして)、ただ山を見て過ごした。1時間ちょっと居た位だが心もおなかも一杯になって、「おそらくエクサンへ戻るだろうバス」を道端で止めて(!)、私たちはホテルへ戻った。

ホテル・セザンヌは、「あ、もどったのね」みたいな感じでさりげなく私たちを迎えた。チェックアウト後、電車の時間までまた街に戻って買い物、という体力もなく(山に生気を奪われたみたいな)、ホテルのロビーで少しうとうとした。こんな風にホテルのロビーで時間を過ごすのも珍しい気がした。個人旅行というのは、なぜかいつもせわしないものだったから。

マルセイユ行きの電車が動き出すと、再び目の前にサン・ビクトワール山が現れた。昨日は雨のせいでまったく見えていなかったのだ。それが結果的にはよかったような気がした。マルセイユで乗り換えて、アルルへ向かう。アルルでは、もう1人の画家が私たちを待っていた。

Those Hotels - #1 星の天蓋

いらっしゃいませ、

何か決まったテーマでブログを書き綴ってみたい、でも「コラム」って感じでもない。そう以前「東○イン」のことを書いて、ああ今まで通り過ぎて行ったホテルや宿泊施設のことを思い出すことは、思ったより自分の内部に入り込んでいく作業だな、面白いな、と感じ、そんなこんなでいろんな国の色んなホテルのことをしばらく書いてみたいと思う。

初めてハワイに行ったのは、1989年6月。覚えている人は少ないと思うけれど、「天安門事件」真っ只中だった。誘われて乗った旅行だったので、計画すべて友人まかせ。全員初めて行くくせに、行き先はマウイ島、宿泊はコンドミニアム、移動はレンタカー、というかなり大胆なもの。

当時は「コンドミニアム」って何?マンションに泊まるの?って感じだったけど、泊まってみるとキッチンはけっこう充実してるし、部屋はホテル仕様より広いし、洗濯機と乾燥機も部屋の中にあったし、ちょっとした日用品の買い物は施設の中でできた。宿泊費も同じような広さだったら断然ホテルより安い。こんなええもんが世の中にはあるのか、と思った。そのとき、ハワイは、「フリー旅行、コンドミニアム、ネイバーアイランド、レンタカー」であるべきだ、と刷り込まれたに違いない。

で、2度目のハワイも「フリー旅行、コンドミニアム、カウアイ島、レンタカー」となった。レンタカーについては、まったくもって勝手なのだけれど、私自身運転しないので、当然できる連れに負担がかかる。なので、ナビ、ホテルでのやりとりを引き受けて、車を使わない日を、隔日で設けるような計画を立てた。だから、ある程度、「居るだけで心地のよいコンドミニアム」を探す必要がある。当時、ABroadが出していた「ハワイのホテル・コンドミニアム」という幻の雑誌を隅から隅まで読み込み、結局「カウアイ島のコンドミニアム」の最初のページにでかでかと載っていた「キアフナ・プランテーション」に決めた。

1995年当時のキアフナ・プランテーションは、改装工事が終わったばかりで、というかまだ途中で、レストランは新築中だった。さらには、何年か前のイニキ(台風)で、隣接するホテルがほぼ崩壊し休業を余儀なくされたため、周りのモールなども人気がなく、車を降りたときには何となく「僻地に来てしまったか」感があった。

そんな、ちょっとしょんぼりした私たちを知ってか知らずか、ビーチボーイの○君は、施設内用の小さいカーゴに私たちを乗せて、ビーチや庭園やコインランドリーやらへ引き回したのである。「コインランドリー、外やん~」と私らのテンションはさらに若干落ち込んだのだけれど。。。

しかしながら、カウアイ島の、他の島にはない緑の豊富さと、人の少なさと、すべてがシンプルな時間の流れに私たちは当然なじんで行った。この島は、2・3日で出てはだめ。かといって、ずっといると体が溶けて、風に舞ってしまうかもしれない。

「外かー」と最初はブーたれてたコインランドリー。ぶらぶらと5分ほど施設内を歩く(ここは広いのだ。)洗濯物を放り込んで、部屋に戻るのも億劫で外でだらだらしゃべっていたその時どちらともなく気づいた。

360度、天空に敷きつめられた星・星・星。乾いた洗濯物をしまいこんで、急いで部屋に戻る。夕食の番をしていてくれたもう1人の友人を、「はやく!はやく!」と部屋の前の庭に連れ出す。あっけに取られていた彼女も、空を見上げて黙ってしまう。庭を突っ切って浜辺に出ると、星は海にも降り注いでいた。それから毎晩、私たちは星を見るのが楽しみになった。天の川は、英語で表現するところの「Milky Way」そのもので、本当に「白濁」していた。

キアフナでの最後の夜、私は夜中そっと部屋を出て、庭の中央で、「星の天蓋」の下に寝そべった。

それ以後、あの時のような星々を私は未だ見ることはない。ハワイ島のマウナケアに登ったが、あそこは大気が澄んでいるので、星が「鮮明に」見えるところだった。キアフナの庭のような無節操さはなかった。

あれから10年以上の時が流れて、今ではキアフナも日本の代理店にネットで予約できるようになっている。当時は直接FAXだったものなぁ。。。アウトリガー傘下になってるし。今日本人スタッフがいるかどうかはちょっとわからない。ただ、オアフと同じように思っていると不便さを感じると思います。でも、不便なんて、忘れなきゃ。それに変わるものが無数にある場所だから。

Kiahuna Plantation


惑星ソラリス、ではなく。

いらっしゃいませ、

何項か前のBlogで、ちょっと気になる、と書いたアナログ・フィルム「Solaris」。ネットでも買えたのだけれど、出かけられる距離に販売ショップがあったので、出かけてみた。

千里山の「C.D.F.」。さほど大きくないスペースの半分がトイ・カメラ関係。トイ・カメラファンというわけではないけれど楽しめる。店員さんの雰囲気も楽しめる。Solarisの200と、あらなつかし!Agfaの400を購入。200はお天気のよい日用に。レンズの明るいMiniluxかContaxに入れようっと。Solarisの800を夕暮れや夜や暗い室内で使うと面白い雰囲気の写真が撮れますよー、と店員さん。気分はお外でアナログ、だったので今回は見送り。
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で、ネットショップ上で気になっていた、2眼レフカメラ「Black Bird Fly」にもご対面。思ったよりも「トイ」っぽい。小さいし。でも、軽いし、35mmで撮れる、というのがいい。ただ、私にはあれがあるの、あれ。

「上海シーガル」。

心惹かれた「Black Bird Fly」に別れを告げ、家路につきながら、「もう一度『上海シーガル』チャンレンジして、だめだったらネットで売り飛ばして、その金でBlack Bird Flyを買おう」と決心(わぁ、恐ろしい!)。

で、再度、字の細かい不親切な取説と取り組み、すでに入っていたフィルムを諦めて引き抜き、新しいフィルムを巻きいれて、そして、、、

「入れ方は正しかったし、操作も正しかった。」

というのがわかった。撮れてたはず、引き抜いたフィルム。まあ、しょうがない。とりあえず新しいフィルムで12回フィルムを巻いてシャッターを押そう(このカメラ、「シャッターを押した→撮れた」感がまったくない)。

この「上海シーガル」というのは、日本では「トイカメラ」の範疇らしい。そりゃローライとかマミヤのに比べたら手ごろすぎる値段だし。

ただ重いし、収まりが悪い。ますます肩こり。


縁というもの

いらっしゃいませ、

ものごとの「必然」とか「偶然」とかを言いたい性格ではない。

どっちでもいい、っていうのも嫌な感じがするから、どうなのかわかりません、というスタンス。

「縁」というのが一番すんなりくるのかもしれない。「縁」を必然とするか偶然とするか、もあまり興味はない。「縁」は「縁」。それが日本語のよいところのような気がする。

で、今年の1月から3月にできたご縁で、Flower Cakeなるものにチャレンジすることに。せっかく作ったし、写真も撮ってみたので、しばらく中継録画におつきあいください。

IMGP0978.jpg白いお皿の上に吸水性スポンジ、別名オアシス。これがまず一人ひとつずつ目の前に。「ピンクのオアシスってめずらしい」という声があって、なるほど、よく頂きモノのは緑っぽいのがおおい。さすがこれからケーキになるだけあります。かわいい。








まずトップから。ケーキでいうトッピングから始めます。逆なのね。
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バラって、もうすでに美味しそう。「クリームで作るバラ」からの逆イメージか。
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これだけでもオブジェとしてよかったのでパシャ。何かに使おう
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次はサイドを埋めていきます。パテでぺたぺた均す部分ですが、ここがけっこう難しかった。
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一応の完成。けっこう集中するし、想像以上にいい時間だった。
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これは先生のお手本。よりケーキっぽい。流石。
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1月から3月まで通っていた講座のクラスメイトだったのが今回の先生。3ヶ月の間に彼女のお花の知識、デザインのセンス、彼女とお花の歴史(海外の花屋さんで働いていたとか)、なんかにずっと触れてきたので、講座をするって聞いたとき、「あ、やってみたい」と思った。これが「縁」。

特にそんな話も聞かず、単にクラスメイトだったから、では多分足は運ばなかった。これが「縁」。必然とか偶然とかでは私にはとてもくくれない。

仕事となると「縁」とかゆるりしたことを言ってられない、のかもしれない。ぐいぐい押し込んでいかなきゃいけないのかもしれないけれど、結局残っていくのは、普段からの「縁」を大切にするつながりなのかもしれない、とも思う。「普段」がまったくなくて、急にコンタクト取られてきて、「なんや、営業活動か」って思うことが最近ちょっとあった。別にご無沙汰でも営業や宣伝ならはっきりと本筋から伝えればいいのに、いかにも懐かしさを装うアクセスの仕方。小ささや貧相さが滲み出てしまう。

そういえば、「普段」ていうのも、いい日本語だ。


新しい街を観察する

いらっしゃいませ、
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引越し先となる新しい街。以前からもしょっちゅうこの街に来ることはあったのだが、自分がこれから住むという意識なく見ていた。やはり住むとなると、見方が変わるのだなと思う。まあ、基本的なところでは、どこに何屋さんがある、とか、このバス停はどこ行きのバスが来るのか、とか、この八百屋は狂ったように安い、とか。

Kは「自転車を買えば」、という。大阪市内に住んでいるときから言われている。あの時はもう少しで買うところだった。でも、「歩道を人がたくさん歩いていてこわい。車道にはとても降りれない」で却下。今の街は「坂が多すぎて走れない。」で却下。今度の街は「図書館遠いよ」「自転車用の道があるよ」、なんだけれどもまだ決心がつかない。だってすぐ近くに駅や商店街があるし、図書館だって歩けない距離じゃない。でも、近所の自転車屋さんで、何気なく値段をチェックなんかしている。

夜歩くには。。。

そう、夜の散歩の習慣は、大阪市内に住んでいる頃についた。住んでいたマンションの周りは静かな住居地だったけれど、ちょっと道路を渡れば繁華街があった。またちょっといけば神社や静かな下町もあった。

今住んでいる街は、駅前に巨大なショッピング街があるが、つくりものの街なので夜は逆に歩いていても大して面白くない。

新しい街は夜歩くのだったら、どこへ行こう。そんなことも観察している。

引っ越したら引っ越したで、花とか植えてばかりになりそうで。。。働けぃ

アナログ帰り

いらっしゃいませ、

肩こり症だ。最近はそれが頭痛にまでなることもある。だいたい、何をしたら肩が凝るか、はわかる。

・テニス やっぱり肩に力は入るのでしょうね。
・車や電車の長時間移動 座ってるだけなのですものね。
・お酒を飲んだ翌日 うーん、なぜなんでしょうね。

で、もうひとつ「カメラを持って出た日」というのがある。なんでかっていうと、とても重い。そう、かの一眼レフデジカメだ。どんだけ重いか、というのを、昨日アナログの一眼レフを久々に持ってみて痛感した。

デジカメ一眼レフライフは、思ったほどお手軽に写真が撮れていない。この重さのせいかしら。それでも、いちど構えると、何枚でもバシャバシャ押せて、その中にけっこういいのがあると嬉しい。アナログ生活の、「待ち」の楽しみはないけれど。結婚式に最近招かれてバシャバシャやったときは、その結果を見て、「あ、私ブライダル写真、いけるかも!」なんて一瞬思ったけど、ブライダル写真やってる人のカメラはもっと重そうである。それを持って、脚立の上に立ったりとか、かなり危険なところから写真を撮っている。まあ、私にはできない。それに、いい写真撮れたのは、多分被写体になる嫁や婿を知っているからだろうと思う。どんなシーンにも意味づけができるからだ。知らない人だったら、やっぱり10倍以上はシャッターを押し捲るしかないだろうなぁ。

なんて思いながら、人の結婚式に出てる。来月もひとつ。来月は、ファドの伴奏をするの。ふ。

で、この間、ネットをふらふらしていたら、「Solaris」というフィルムの情報に行き当たりました。なんだか面白い雰囲気の写真が撮れるみたい。へえー、買ってみようかな、と思っているうちに、アナログカメラを持って外に出たくなった。で、久々にライカのMiniluxを持って出かけた(軽い!)は、いいものの、電池切れでシャッターが押せなかった。。。ほったらかしにしてると、こういう仕打ちにあう。ごめんね。

作品制作欲が出てきたら、さあ、アナログに帰ろう”デジカメは、今年はスウィーツ撮りに使う。いろいろサイトや雑誌を見て勉強中です。

さて、写真は結局携帯で撮ったです。それでも、けっこういいのが撮れるのがヤダ。

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性別:
女性
自己紹介:
被写体に恋をしたらシャッターを押し、フワフワしてきたら文章を書き、もわもわしてきたら花に水をやっています。
写真のこと、旅のこと、本のこと、言葉のこと、音のこと、などを描いて撮ってます。

ついったー

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