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Hōkele Malama Columns

親ページが「Residencial Azul」から「Hōkele Malama」に変わったので、このBlogのタイトルも変わりました。渾身の(とまではいかない)Columnページです。

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Those Hotels #2 -画家の名前ホテル1

いらっしゃいませ、

なんでこのあたりに来るときはいつも私は金を持ってないの?

パリに着いた初日に、モンマルトルの駅で財布をすられる。現金わずかと、20フランのTC、クレジットカード、それと地方銀行のキャッシュカード。クレジットカードはすぐカード会社に連絡してひと安心だったが(割とそれまでの人生で、何度かクレジットカードを失くしているので、その後の処理は慣れていた)、それでもそれはそれ旅の空の下、かなりパニックに陥った。連れの1人に「こんな慌ててるJさんみたことない」とまで言われる。地方銀行のキャッシュカードは、なぜそんなものが財布に入っていたかすら記憶にないぐらい使ってないものだったし、TCはサインなしだから、結局彼ら(犯人らしき若者グループを友人が目撃)はわずかの現金を手にしただけだったけれど、まあビール1杯ずつぐらいは飲めただろう。でも、その後、TCが戻ってくるまでの私の労力を考えたら、ものすごく腹立たしかったけど。

だから、翌日パリを離れてプロヴァンスに向かう朝、もう1枚のクレジットカードとTCのほとんどをホテルの金庫の中に置き、現金だけ財布にいれたのだ。「たしかあっちはホテルもそんなに高くなかった」

その旅からさかのぼる10年前に、同じようにパリのホテルに荷物を置いて、プロヴァンスに向かった。そのときもカードを置いていった。初めての旅で、移動中に落としたりしたら大変だ、と現金だけで出かけた。

そう、確かそのときも、いつもお財布の中身を気にして、ろくに買い物もできなかった。なのに、、、そんなことをすっかり忘れてというわけではないけれど、10年という歳月と、「南仏プロバンスブーム」をみくびって出かけてしまったのだ。物価がかなり高騰していた。

そんなわけで、その旅でも、私は連れにお金を借りることになる。それだけでネガティブな気持ちになってしまう。パリですぐ返せるからもっとさっぱりきっぱり貸してもらえばいいのに。この辺とてもじとじとしている。

そんな私のじとじと心と共振するような雨に煙るマルセイユで乗り換えて、ローカル線でエクサン・プロヴァンスへ向かう。どの線に乗ったらよいのか、ホームの人に尋ねる。わさわさと人が集まってくる。中学生ぐらいの子も多い。きっと今日の夕食の席で、「困っているアジア人が、へんてこりんなフランス語をしゃべるんだけど、あたしわかったから教えてあげたの」とか言うのだろう。教えてくれたのは大人だい。でもありがとうね、いろいろ横からわいわい口出してくれたし。電車の中でもジプシーのご夫婦に降りる駅を教えてもらった。フランスであまり嫌な目にあったことはない。あかんのは公共施設の窓口とか、そういうところの人だ。でもそれは他の国でもある、フランスに限ったことじゃない。

エクサン・プロヴァンスに着くと雨が上がっていた。駅から街へ続く坂をあがる途中に、こじんまりとしたホテルを見つけた。

Hotel Paul Cezanne

いろいろ調べてみたら、今は別の経営になったか、移転したか、改築したかで、場所や外観が私の記憶とまったくちがっているが、その頃は落ち着いた内装の、きらびやかではないが上品な雰囲気のホテルだった。一応チェックをしてから観光案内まで歩いて行って他のホテルもチェックする。友人が「やっぱりあそこがよかった」というので(お財布係は彼女だし)、私も異存なくまた坂を下る。2つほど部屋を見せてもらって、彼女が窓のある方がよい、と高いほうの部屋を取る(お財布は彼女だし)。

いうまでもなく、エクサン・プロヴァンスといえば、「ポール・セザンヌ」だ。そんな名前のホテルに泊まることが、少し面映く、また愉快だった。ホテルを出て、有名な町の中心にある噴水広場を突っ切り、大通りを歩き、規則があるのかないのかわからない路地を登り、プロヴァンスらしい商品が並ぶ店を冷やかし、青空市場の色彩を楽しみ、さてポール・セザンヌのアトリエを目指してまたさらに坂を上る。せっかく「ホテル・セザンヌ」に泊まってるんだし。未だに、私たちはアトリエにたどり着いていたんだろうか、というあいまいな記憶しか残っていない。その日は月曜日だったので、アトリエがしまっていた、とつい最近まで思っていたが、先日BSでエクサン・プロヴァンスの旅紀行をやっていたとき、そのアトリエの外観自体にまったく見覚えがないことに気づいた。「私らは、何を見てアトリエは閉まってると思ったんだろうか。。。」記憶というのは一人歩きするものだから、まあそれはそれでいい。行けなかったという事実だけはある。

その代わりというか、私たちは翌日、ポール・セザンヌといえばこれ、でも彼のアトリエよりももっと大きなものに会いに行く。

「サン・ビクトワール山」

何を思ったか、その山を見に行こうとバスに乗った。べつにサン・ビクトワール山絶景ポイントなる観光地があるわけではない。「この辺まで行ったら見えるだろう」っていうところまで取りあえず行く。二十歳そこそこの若いバスの運ちゃんがビュンビュン飛ばす。歯を食いしばりながら手すりに掴っているうちに、友人が、わっと振り向く。「あれ!あれ!」

今までにまったく見たことのない形相の真白き山。見たことがあるといえば、セザンヌの絵の中だ。確かに、彼の絵が一番よく「似ている」ような気がした。

エクサン・プロヴァンスの街で買ったチーズやパンを、屋根のあるバス停のベンチで広げてほおばり、後は何をするわけでもなく(どこかへ向かったら二度とバスに乗って街に帰れないような気がして)、ただ山を見て過ごした。1時間ちょっと居た位だが心もおなかも一杯になって、「おそらくエクサンへ戻るだろうバス」を道端で止めて(!)、私たちはホテルへ戻った。

ホテル・セザンヌは、「あ、もどったのね」みたいな感じでさりげなく私たちを迎えた。チェックアウト後、電車の時間までまた街に戻って買い物、という体力もなく(山に生気を奪われたみたいな)、ホテルのロビーで少しうとうとした。こんな風にホテルのロビーで時間を過ごすのも珍しい気がした。個人旅行というのは、なぜかいつもせわしないものだったから。

マルセイユ行きの電車が動き出すと、再び目の前にサン・ビクトワール山が現れた。昨日は雨のせいでまったく見えていなかったのだ。それが結果的にはよかったような気がした。マルセイユで乗り換えて、アルルへ向かう。アルルでは、もう1人の画家が私たちを待っていた。
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被写体に恋をしたらシャッターを押し、フワフワしてきたら文章を書き、もわもわしてきたら花に水をやっています。
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