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Hōkele Malama Columns

親ページが「Residencial Azul」から「Hōkele Malama」に変わったので、このBlogのタイトルも変わりました。渾身の(とまではいかない)Columnページです。

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確かに、「三番目に大事なもの」だった。

いらっしゃいませ、
31.jpg
しばらくいろんな土地のホテルをめぐっていただきましたが、ちょっと休憩。でも、昔のことを思い出して書く、という作業は実際面白いもので、特に今はインターネットがあるので「事実」を確認もできるし、それが自分の記憶(真実)を喚起することもある。そのときに書くこともそれはそれで新鮮な思いが伝えられるのだけれど、その後に体験した人生や旅を経てから書くことで、客観的にそのときの自分を見つめられる。でも、しょっちゅうやると疲れる。うん。

6月が終わろうとしている。1年の半分が過ぎた。自分の人生に、とても大きな、もしくは、意外に大きな影響を与えた人が2人亡くなった。忌野清志郎さんとMachiel Jacksonさん。

多くの人がそれについて語り、それについて書き綴った。接点が大きかった人々の中には、それをしなければいけない職業の人や立場の人もいただろう。それが辛かった人に私は共感する。また、2人との接点があまりなかった人(音楽的に、時代的に)もいただろう。それを正直に吐露する人も私は理解できる。

でも、後者でありながら、適当な言葉を並べた文章を多く見た。まあ、これも立場上・職業柄必要だったのかもしれない。でも、言っていいですか。

Disgusting!

「ショックです!ご冥福をお祈りします!」
って言ったり書いたりする前に、客観的に自分とのかかわりを何か1つでも思い出して、それを綴って欲しい。それが、「なにこれ?この人のこと知らないんじゃない?」って反応を生んでも、適当な文字並べよりずっと伝わると思う。それもなければ、出会いがなかったことを正直にあらわすか、黙っていた方がいい。

旅と同じで、生きてきた中で無数にであう事象。出会った時には読み捨てられて行ってしまったことも、何年も十何年も、何十年も後、思い探ることで意味を持つことがあるんじゃないかって思う。

私はプロじゃないけれど、ずーっと音楽がそばに居た。あら、私の方が聴いてる、って、その辺のプロの人と話していて驚くこともある。けっこう、そういう人私の周りにも多い。世代的に、自分から探していかないと情報がつかめなかった時代に生きてきたからかなぁ、とも思う。ファンじゃなかったとしても、前述のお2人のことを、彼らは十分綴れるし語れるだろうけれども、まだ誰も語らない。

もう少し時がたったら、そんな人たちと、ぽつぽつとお話してみたいと思う。
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被写体に恋をしたらシャッターを押し、フワフワしてきたら文章を書き、もわもわしてきたら花に水をやっています。
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