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Hōkele Malama Columns

親ページが「Residencial Azul」から「Hōkele Malama」に変わったので、このBlogのタイトルも変わりました。渾身の(とまではいかない)Columnページです。

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映画を観るクセ

いらっしゃいませ、

アカデミー賞は80周年だったらしい。ノミネートされている俳優さんやプレゼンテータの人のほとんどが知らない人。そういえば、ここ10年ほど映画館通いや映画雑誌購読から遠のいていた。だけど、80年の歴史!みたいな映像のほとんど、60年代ぐらいからは分かるからね。(60年代はさすがにリアルタイムじゃないけど、映画が好きな人は絶対観る、観るべき年代だから。)

ちょっと前に「サウンド・オブ・ミュージック」のサントラについて書いたけど、「映画音楽」というのは、音楽のひとつのジャンルであると思っている。どんな音楽であれ「映画音楽」として作られた、もしくは使われた楽曲を、「映画」から引き離すのは非常に難しい、という、独特な特質を持っているという点において。(とても個人的な論点であるとは思っているのだけど)

「スクリーンミュージック全集」として集められたアルバムが、なぜあれほど薄っぺで、退屈極まりなく、空々しいのか、それはその音楽を映画から根っこを引き剥がして、別の映画から引き離された曲と、ただ有名だから、ヒットしたから、という観点だけで、それも年代順とか、ジャンル(恋愛映画、アクション映画、マカロニウエスタン!...)別とかで適当に並べて聴かされるから、だという思いに至るようになった。

逆に、80年代以降生まれた、映画のために集められた流行ものっぽいロックやポップミュージック、あれはどうよ、って話。その中からビルボードの上位にジャンプアップした作品は、時代性が強く、その後の時代に聞き返しても、やはり時代性の強い80年代のその映画を乗り越えることはできない。また、多くの楽曲に埋もれた楽曲は、映画と共に思い出されることもなく、曲としてのアイデンティティを主張することもなく、消えていく。そんなような曲をやっぱり全集としても、結局「80年代コンピュレーションアルバム」程度の安っぽさしかない。

クラシックの名曲でも、一度映画音楽に強烈に使われると、もう映画に取り込まれてしまう。この辺は、とても怖い一面。

私が愛する映画音楽は、やはり愛する映画の一部であるように思う。その曲が何かの映画に使われていることを知らずに聴くことももちろんある。そんな曲は、私にとって「映画音楽」というジャンルには属さない。こんなことを考えていると、「映画音楽」というジャンルは、とても個人にゆだねられるジャンルにも思えてくる。やはり、独特の特質を抱えている。

そんなことを、アカデミー賞の主題曲部門?のパフォーマンスを見ながら思ってみる。これって、もっと深く考えるべきかしら、「T家のコラム」向きかしら...そう、ひとつの映画から3つぐらいパフォーマンスがあったけど、どれも、ものすごく今ひとつ。やっぱり、取れなかったみたい。

「プライドと偏見」
「マーサの幸せレシピ(ドイツ版)」

を観る。この辺の感想はおいおいに。映画を観るクセがまたついてきたのは、よいことかも。
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