いらっしゃいませ、
もう少し、リスボン。
今回は、いろんな人の歌を聴いた。素人さんも含めて。
とにかく、夜遅く聴くわけだから、歌手によってはその歌唱が睡魔を増幅させることもある。
Pateoでは、初めて聴く男性歌手が1人、それから何故かリスボンでコインブラファドを歌うおじさん1人。本当にこの人の時はイスから転げ落ちそうになった。コインブラファドってもともと面白くないから好きじゃないんだけど、リスボンファドと一緒に聴くとよけいつまらなく感じる。なんか、損した気分になるのは私だけやろか。他のステージ全体のバランスも悪くなる。
もう1人の人はリスボンファドだったんだけど、「何で眠くなるんだろう?」ってKに聴いたら、「表現力ないんやろ。」
そうか、バレットさんやシーコさんやジュリエッタさんの歌はメリハリがあって、ギュっとなる瞬間があるんや。眠気も吹っ飛ぶ。それと、声や歌唱に表現力がある人は、「歌の終わり」で違いがわかるような気がする。
CDでは、普通に歌が終ることが多いのだけれど、ライブの場合は、
歌を止めて、アカペラ状態で歌を盛りあげて、再び伴奏がついて終る。
歌を止めずに、歌を盛り上げて、終る。
一つ目は分かりやすいので、誰でも「ああ歌の終わりで盛り上げてるんだ」って分かる。二つ目は聴きなれていない人は不意をつかれるようにも思うのだけれど、やっぱりうまい人は自然に、本当に何気なく曲を盛り上げて、聴く人を歌の終わりに導く。個人的には、二つ目の方が好き。ファドの醍醐味を感じるのだ。
伴奏を勉強してて、二つ目の方をやるとき、ファディスタにそうとうの声力がないと、伴奏している方が気が付かないかも、って思った。もちろんプロの人はどこで終るのか分かって弾いているからいいんだけれど、素人ヴィオラ弾きの私はわからないんだな。だから、止まってもらうほうがいいのだけれど、え、あぁ、止まったの?と慌てて伴奏を止めることになる。歌を止める方も、止まる前に、ボディアクションもなく止まるのが分かる人もいるのだ。つまりそう、これも声力。声が大きい、のとはちょっと違う。
実際に、ファドの中に入って、それでまたファドの外に出ると、初めて聴こえてくるものがあるなあ、って思った。さあ、日本に帰って、徳島に行って、またファドの中に入ろう。
たくさんのプレーヤーやファディスタに、たくさんのObrigadaを言って、深夜2時、リスボン空港を飛び立つ。「Bom Dia」と声をかけられて。 (続く)
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