いらっしゃいませ、
○日までにやらなければならないAというプロジェクトのための仕事があって、そんでもってX日までにもやらなきゃいけないBというプロジェクトのための仕事があって、「Aの方忙しくないですか?大丈夫?」と笑顔で締め切りを告げられる今日この頃。まあ、何とかなる仕事です。何とかならなければ、どうにかする、というのが最近の私のスタンスです。これができるようになるまでに、なかなか道のりはあったのだけれど…
さて、そんな笑顔が飛び交うプロジェクトの打ち合わせ。役付きの人、各部門で業務に精通した人たちが集うのだけれど、全員女性。外部の業者さんが交わってのこともあるのだけれど、やっぱり他のとこと違うなーって思てはるんやろうなぁ。重箱の隅をつつく、じゃなくて「ほじくりだして剥がす」パワーにたじろぐ場面も多々あり。
で、ふと思ったんだけど、彼女達の化粧。「赤い口紅」の人がいない。ピンクもいない。オレンジもいない。今はそういうの流行じゃないんだろうね。そうそう、グロスもいない。これも流行ってないのかなあ。化粧品のコマーシャルに出てくる女優さんたちの唇は色とりどりで、てかてか光ってるんだけど。こういう化粧は女子高生とか女子大生がするのかしらね。てか、気が付いたらそんなもの、とうに取れちゃってる。業務時間内の仕事の濃度が高いからなぁ、この職場。
そうそう、こんな風に一瞬集中力を飛ばさないとやっていけない長時間ミーティング。
やっとプロジェクトAに戻って、長時間PCのCPUに平均70%の負荷を掛け続ける。なんか、だんだん可愛そうになってきて、私もかわいそうになってきて帰宅。もともとリップしかつけてないけど、で夜も更けてきてるからルージュは不要。80年代の己の化粧を忘れたい。
Aqua BarのPCに映っていた「サイレントヒルっていう汚染された街に迷い込んだ母娘」が出てくる映画が妙に気になる。
いらっしゃいませ、
サミットは大阪に来ることはなく、ホッと胸をなでおろす。前回の大阪サミットのときのめんどくささを勤務地(大阪市内)で体験した身としては。ええやん、「世界陸上」だけで。
で、世界陸上のスケジュール表を見て、おっとびっくり。
http://www.osaka2007.jp/timetable/index_j.html
大会は8月25日から。で、しょっぱなのプログラムが、「男子マラソン決勝」。開会式の前。
「決勝」っていう表記に違和感は感じるものの(まあ、国内の選考会が予選なのね)、いきなりか。普通は最後か、中間の週末なのだけれど、世界陸上って1週間しかないから。ラストを彩るのは、女子マラソン。まあね、日本でやるのだから、そうでしょうね。
お、って思ったのが、スタート時刻なのだ。午前7:00。いいのか・・・
ホノルルマラソンの出発は午前5:00だが、8月の大阪を侮ってはいけない、12月のホノルルよりおそらく暑い。個人的には5:00スタート設定にしてあげてもよいと思うのだけれど、知り合いが走るホノルルマラソンと違って、一流選手が集うわけだから、テレビの放映時間とかいろいろあるのだろう。まあ、8月25日の7:00-9:00過ぎにいたる大阪の暑さを制したものが本当の世界一なのでしょう。なんて。
で、「観に行く?何の競技がいい?」って訊かれたのだけれど、んー、特に陸上競技ファンというわけではないので、今ひとつぴんとこない。9月1日(土)の、「男子十種競技」あたりだと、ずーっと同じ人たちが、いろんなことをやるわけだから、それなりのドラマが長時間楽しめてよいのかもしれない。
でも、多分9月1日も暑いよ。
そんでもって、また織田裕二らしいよ。暑苦しい…
(※「ハルノチラシ」と書いてはならない。)
まだ3月3日ではないけれど、ちらしずしを作ってみた。
「作ってみた」、というところでお分かりかと思うけれど、今まで作ったことがなかった。
今まで作ったことのない料理を思い浮かべると、たいがい母の得意料理である。聖域を侵してはいけない、という本能がごくごく自然に働くのだ。で、母が作った方が美味しいに決まっている、という勘がごくごく自然に働くのだ。
一人暮らしをしていたときは、やはりあまり多く作れない、というのがあって、やたら和え物ばかり作っていたような気がする。
二人暮しになって、お料理の機会がガタッと減ったものの、その機会を捕らえて、母の得意料理のフィールドに、こっそり足を踏み出したわけです。
参考にするのはもちろん「料理本」なんだけれど、最近はすぐにレシピが見つかるネット検索が多い。さらにそこに新たなる「DS Light」ソフトの「しゃべるお料理ナビ」が加わる。
この「しゃべるお料理ナビ」なのだけれど、いかにもデジタルデータっちゅう感じの声でナビゲートする。おまけに、並行している作業(料理というのは、必ず作業が並行する)に弱い。本のページや、Webのページは視線を左右上下するだけで、パラレルな指示を受けることが出来るが、DSは「戻る」必要がある。その際、画面ごとに敵はしゃべろうとするものだから、かなりうっとうしい。何度か使ってみたが、最初に全部流して概要をつかみ、知りたいところまで再度めくっていく、っていうやり方になるかなぁ。
こういったデジタルなツール、アナログな料理本は、それを使って何種類か作ってみると、「付き合い方」というのがわかってくる。味付けの分量を、記載どおりにするか、7掛けあたりに設定するか。たいていパブリッシュの発信元は東京である、と考えると、このあたりは関西人にとって非常に重要であるのだ。
ちなみに「しゃべるお料理ナビ」は、私の舌からすると濃いので、だいたい7~8掛け。
さて、料理なのだが、10代・20代の頃はまったく、というか、ほとんどというかしたことがなかった。ある古い友人に、「出来ないんだと思ってた。」と、ある日真顔で言われたことがある。確かにこれは8割がた当たっていたかもしれない。料理をすること自体が、実際あまり好きではなかったのだ。
やらず嫌いがなくなったのは、飲み友達と集まってホームパーティみたいなことをちょこちょこ始めたとか、ダイエットを本格的にやってみた、とか、そういった非常にヤクザなキッカケ。
一人暮らしの年月が長かったにもかかわらず、一度も料理を作ったことのなかった知り合い(♀)が、私と同じ時期ぐらいに結婚した。最近やっと、焼きそばが作れるようになったらしい。がんばれ。
さて、「母のサンクチュアリ」、次は「タケノコの木の芽あえ」。タケノコはアクを取る所からやらねばならない。ハードルは高い。
いらっしゃいませ、
近所に「アリアンス・フランセーズ」があることが分かって、4月からフランス語の勉強に再挑戦しようと思っている。フランス語は、大学時代に文法と仏文読解っていうのをやって、社会人になってから、2年半ほど語学学校に通った。10年ちょっと前、フランスに旅行する前に、「Survive in France」という過激な?タイトルの旅行本で再復習、それ以来になる。
不安というのは特にはない。タイトルにあるように、まず自分の脳年齢にあわせて無理なく行ければ、と思っている。
語学といえば、一番長く付き合っているのはやはり、英語。小学生高学年の頃に、洋楽に触れ始めるようになったのが実は大きな理由なのだけれど、中学・高校の英語は、積極的に勉強した方だった。
中学のときの勉強方法は、教科書の丸暗記。それも、読んで書いて覚える。歌から英語に入ったから、大きな声で教科書を読むのが好きだった。実に下らない内容なのだけれど、アメリカやイギリスのミュージシャンの発音を真似て、その気になっていたものだった。
丸暗記、というのは頭が柔らかい時期には、悪い勉強方ではないと思う。口に出して、ノートに書いて覚えていくうちに、感覚的に、
「He drink too many.」とか、「They arrives in the station on 8:00」とかは変だ。
というのを身につけていく。
高校時代も、大体このやり方で、英文法であろうが英文解釈であろうが、テキストや参考書を丸覚えしていく。「英語の構文150」っていうベストセラー参考書も、ほとんど構文を暗記した覚えがある。
抜けていたのはヒアリングとスピーキングだった。中学・高校の英語教師たちの発音はひどいものだったから、私の聞くネイティヴの発音は、ほんまに歌か、洋楽番組のミュージシャンのインタビューぐらい。うちのテレビは二ヶ国語放送対応でなかったし...それでもって、外人さんとおしゃべりをする環境が全くない。高校時代、英会話に通っている同級生が羨ましかった。親に言ったら「受験と関係ない。」って言われて、まあ確かにそうなのです。英会話に通っていた友人たちは志望校に入れなかったり、スチュワーデスの試験に落ちたりしていた。
大学に入って、今度は親から「就職のため」と、英会話学校を進められた。実際に通い始めて、これはこの後社会人になってからの英会話学校通いでも感じたことなのだけれど、英会話学校では「しゃべることに若干の抵抗はなくなるが、英語の総合力はアップしない。むしろ後退する。」
もちろん、英会話学校に行きながら、きちんと系統だった文法の勉強をしたりリスニングの勉強をしたりすれば話は別だけれど、ちゃんと英語を教える、という能力を持たない単なる「英語が母国語」の人たちとフリートークで時間を過ごすだけなら、確実に英語力は下がる。まあ、これはもちろん私の個人的な経験による感覚によるものなのだけれど。
英会話にも通わず、特別試験のための勉強をしていたわけでもないのに、あるとき英語をしゃべる状況に置かれたとき、すらすらと話ができるようになった時期があった。
それは多分、学生の頃に文法・構文を地道に勉強してきたこと、仕事である時期無味乾燥な英文レポートを書き続けた時期があったこと、ブロークンな英語でとにかくけんか腰に英語しか話さない奴らと仕事をしたこと、そしてなにより、日本語で自分の考えや意思・意向を、論理立てて話せるような年齢になっていたこと、がうまく統合された時期であったのだと思う。それを、支える脳年齢も若かったし。
そんな自分の英語との歴史みたいなものを思い出して、フランス語と取り組もうと思う。まあ、まずモチベーションの維持が大事。ポルトガル語はまったくモチベーションなかったもんなぁー。英語にしたって、それを駆使して仕事がしたいとか、そんな気持ちがないので、天井で頭を打ってる状態。まあ、突き抜ける根性もないが。
語学は目的ではなく、ツールである、っていうのもあるけれど、まず「自己」である、っていうことも最近よく感じる。自分の国の言葉で、意思を伝える話が出来る、文章が書ける、っていう鍛錬を日常続けることが、他国語をやるとき生かされてくるようにも思う。
いらっしゃいませ、
元旦早々、扁桃腺を腫らせてしまいましたが、やっと回復。気が付いたら年始休暇は終わっていたけれど、第2弾の連休が今年はあるから、遅れを取り戻すべく楽しまなきゃ、と意気込む今日この頃。
今年は何をしようかなー、なんてこともようやく考えてる。
ちょっと興味を引かれるレンタル暗室をネットで見つけたので、まずは冬の間に行ってみよう。
4月からは、歩いて2分の「フランス」でフランス語をやり直そう。
仕事のプロジェクトが一段落したら、「どーん」と有休を取って○ワ○へ行こう。
Azulの模様替えをしよう(ちょっと、デザイン的にイタくなってきたから...)
「ポートレート」制作を少しずつ始めよう。
お料理もしなくちゃ。
預金額を増やそう。(ん、だんだん生生しくなってきたぞ。)
正月早々、元気であることがどんなにありがたいか身に沁みた。今年一年、とにかくつつがなく、つつがなく。
皆様にとっても、良いとしでありますように。
6 January, 2007
junco
いらっしゃいませ
なんか次から次へといろいろ起きて(仕事で)、なかなか頭の中にまとまった文章ができず、滞っていたReception。気が付いたら師走。昨日、やっと年賀状を買ってきた。さて。
このブログ、けっこうキーワード検索に引っかかって見に来られる。この間のキーワードは「宮崎あおい、京大」。んー。じゃあ、あんまり仕事のことは書けんなあ。まあ、もともと仕事のことは書いたことはないけれど。遠回しな比喩を使って以外は。いろいろ溜まると、どうも比喩の膜を破って、はなしが具体的になって油っぽくなる。気をつけよう。
さあて、年賀状。来年はイノシシかー。イノシシといえば、何年か前に台湾に行ったときに、台北の公園で「ウリボウ」をつれて散歩(!)しているおじさんがいて、何枚か写真を撮らせてもらった。その写真を使おうと思うんだけど、さてどこに行ったやら。
ネガはわりとネガブックに入れて、年に1度ぐらいは整理をするのだけれど、デジカメの映像ははて、どのPCのどのドライブに入れたのか、どこかのメディアに吐き出したのか、一向に整理ができていないため、行方不明。これからまた探索の旅へ。
その台湾なのだけれど、年末旅行が実現しそう。「自分へのごほうび」という位置づけをしてみた。よく「自分へのごほうび」といって、大きな買い物をする友人がいる。私は「必要だから」「欲しかったから」で買っちゃう。「もったいないけど、がんばったんだから」っていうのがない。「もったいない」と思ってしまうほど、高い買い物がないのかなあ。
今回の台湾もさほど高い買い物ではないけれど(年末なので若干航空券が高い)、なんとなく「ごほうび」にしてしまおうと。特にどこに行きたいとか、何をしたい、とかガツガツした気分もないし、以前のように映画とか文学に新たにインスパイアされたわけでもないし、まあ「デイタイフォン」と地元で人気の小籠包の食べ比べをしよう、初めて行ったときに一番うまい!と思った餃子屋さんに行こう、とか、ぐらいの小欲望的トリップなので。
で、本日休暇願いを提出する。休めますように...
いらっしゃいませ。
いろいろ、たくらむ。
銀行強盗とか、そういうことではない。「完全犯罪」とか、ダメだろうなあ、もともと詰めの甘い人間だから。めんどくさいし。
企むって、そう、企画。 企画って言う言葉に弱い人間は多い。なんか、素敵な仕事って思っている。
「うちは、トップダウンで~しろ、っていう仕事ももちろんあるけど、例えば来年度はこんなことをしたい、というのを予算を含めて企画して、自分で段取りして達成していく仕事もしてもらわないといけないんですよ。」
って面接で言うと、たいがいの人は、
「そんな仕事がしたかった」、とか、「仕事はそうでないとやりがいがない。」
とか言う。で、実際、仕事を渡してみると、ひたすら指示待ち。こうしてください、までしかやらない。だから、最近は上述のように答える人には、
「きつい仕事ですけどね。」
って切り返す。「は?」って言う顔をしている人は、まあできんだろうなあ、って虚しく微笑み返し。
仕事上での「たくらみ」は疲れるので、プライベートのたくらみに精を出す。これはなかなか楽しい。最近は小さなたくらみを少しずつ積んで、実現している。
再来週あたりには、小さな植木鉢に釉薬を塗る。焼きあがったら、春に咲く花の種を植えよう。
そろそろ、大判カメラを探しに中古ショップを回ってみよう。最初のたくらみは、「ポートレート」。撮りたい人も、だいたい「たくらんで」いるのだけれど、さて、どんな風に切り出そうかな。
やっとひとつ「詞」ができたので、もうひとつ、ふたつ。それに、ちゃんと曲がつけられていく工程が、まるで魔法のようで。
そんな小さなたくらみが、私をリフレッシュさせてくれる。それが出来る環境にも感謝しないと...