いらっしゃいませ、
ボーっとテレビを観ていたら、キリンラガーのCMにぶち当たって目が覚める。YMOがRydeenを演ってる。
原始人になったり、沖縄のおばあみたいになったり、する。相変わらず、何着ても似合う細野さん。
懐かしいなあ。っていっても、私は1979からのファンじゃない。幸宏さんのソロのファンだった。で、83年だったか、大阪城ホールの「散開ライブ」に行ったっけなあ。それが最初で最後のYMOだった。
YMOの音を冷たい音だと思ったことは一度もなかった、あの頃から。で、今ちょっと優しいアレンジのRydeenを聴くと、違う意味で、あったかい気持ちになる。未だに、電子音は冷たく、アコースティックは暖かいなんて思っている人はいないだろうけど。
「YouTube」で、このCMを探して観ていて、そのうちYMOの色んな映像を探しているうちに、見つけた。
「トリオ・ザ・テクノ」
貴重な映像。これ、わたしRTで観たぞ。もしかしたら、YMOのファンになったのは、このときからだったかもしれない。あんまり覚えてないけど。
(※「ハルノチラシ」と書いてはならない。)
まだ3月3日ではないけれど、ちらしずしを作ってみた。
「作ってみた」、というところでお分かりかと思うけれど、今まで作ったことがなかった。
今まで作ったことのない料理を思い浮かべると、たいがい母の得意料理である。聖域を侵してはいけない、という本能がごくごく自然に働くのだ。で、母が作った方が美味しいに決まっている、という勘がごくごく自然に働くのだ。
一人暮らしをしていたときは、やはりあまり多く作れない、というのがあって、やたら和え物ばかり作っていたような気がする。
二人暮しになって、お料理の機会がガタッと減ったものの、その機会を捕らえて、母の得意料理のフィールドに、こっそり足を踏み出したわけです。
参考にするのはもちろん「料理本」なんだけれど、最近はすぐにレシピが見つかるネット検索が多い。さらにそこに新たなる「DS Light」ソフトの「しゃべるお料理ナビ」が加わる。
この「しゃべるお料理ナビ」なのだけれど、いかにもデジタルデータっちゅう感じの声でナビゲートする。おまけに、並行している作業(料理というのは、必ず作業が並行する)に弱い。本のページや、Webのページは視線を左右上下するだけで、パラレルな指示を受けることが出来るが、DSは「戻る」必要がある。その際、画面ごとに敵はしゃべろうとするものだから、かなりうっとうしい。何度か使ってみたが、最初に全部流して概要をつかみ、知りたいところまで再度めくっていく、っていうやり方になるかなぁ。
こういったデジタルなツール、アナログな料理本は、それを使って何種類か作ってみると、「付き合い方」というのがわかってくる。味付けの分量を、記載どおりにするか、7掛けあたりに設定するか。たいていパブリッシュの発信元は東京である、と考えると、このあたりは関西人にとって非常に重要であるのだ。
ちなみに「しゃべるお料理ナビ」は、私の舌からすると濃いので、だいたい7~8掛け。
さて、料理なのだが、10代・20代の頃はまったく、というか、ほとんどというかしたことがなかった。ある古い友人に、「出来ないんだと思ってた。」と、ある日真顔で言われたことがある。確かにこれは8割がた当たっていたかもしれない。料理をすること自体が、実際あまり好きではなかったのだ。
やらず嫌いがなくなったのは、飲み友達と集まってホームパーティみたいなことをちょこちょこ始めたとか、ダイエットを本格的にやってみた、とか、そういった非常にヤクザなキッカケ。
一人暮らしの年月が長かったにもかかわらず、一度も料理を作ったことのなかった知り合い(♀)が、私と同じ時期ぐらいに結婚した。最近やっと、焼きそばが作れるようになったらしい。がんばれ。
さて、「母のサンクチュアリ」、次は「タケノコの木の芽あえ」。タケノコはアクを取る所からやらねばならない。ハードルは高い。
いらっしゃいませ、
週末は再び徳島へ。「徳島ジャズストリート」に。ジャズ嫌いの私が、なぜジャス・ストリートなぞに?
最近は、ジャズ・ストリートと言っても、他ジャンルの音楽も演奏されているようで、今回は徳島でファドを勉強している人たちの、初ライブの場となった。
去年から、ダンナは月一回、ファドの指導に紀伊水道を渡っていた。私も仕事や写真大学のない土曜日は、付いていっていた。
練習を続けていたのは、ファディスタ二人、MT氏とKimi Kannoさん。そして、伴奏のIT氏。その名も「阿南サウナーデ」。その皆さんの晴れ姿なんだもの。見逃すわけにいかない。
2月4日(日)、19:00から23:00まで、徳島市繁華街に点在するジャズ・バーなどで入れ替わり立ち代り演奏が行われる。「阿南サウダーデ」も2箇所でライブを行う。おそらく、徳島で本当のファドが演奏され、唄われた最初の夜。観客も、初めて目にするポルトガルギターをまじまじと見つめ、初めて耳にするファドのリズムと旋律をすうーっと受け入れる。
1件目の「コレクター」というバーは、徳島でも伝説的な店。さまざまな恐ろしい逸話を聞かされて、こわごわドアを開ける。ライブのために、部屋のレイアウトはおそらく大幅にいじられてはいただろうけれど、壁際に追いやられた「秘宝」の数々。とにかく、私にとって非常にフォトジェニックなスペース。でも、一度座ってしまうと、満席の店、移動することもできず、とにかくライブ写真の撮影に専念する。
残念だなあー。でも、なんもないときにもう一度入るのは、ちょっと、っていうか、非常にっていうか、怖い。
さて、肝心のライブ。MT氏のファドは、私が今まで聴いた男性ファドの中で一番だった。本格的な発音、言葉を音に乗せるリズム感、張りのある自然な声。巧みに、自身のキャラクターを唄に吹き込む。年末の大阪のライブから、しっかり1曲増やしていた。その「テージョ川のほとり」がよかったなぁ。 もっとレパートリーを増やして!いっぱい聴きたい!
Kanno Kimiさんは、哀感のある独特の節回しを持っている。”Loucura"という、愛の苦しみ・狂気を唄った歌も、ドロドロ感なくあっさり唄える。元々の旋律が哀調を帯びているので、無理して謳いあげることなくても、その節回しで非常に雰囲気よく仕上げていたと思う。
「徳島ジャズ・ストリート」は、なんと年に2回もある。こんな風に、ファドが好きで、唄うことを楽しむ人たちに、ファドを知りたい、聴くことを楽しみたい聴衆に、こんな場がある、というのは素敵なことなのだ。
なんどか、紀伊水道を渡った日々。少しずつ縁が繋がってきて、これからも少しずつ広がっていく予感。私はただ、拍手をしたり写真を撮ったりするだけだけど、「好きなことをする。好きなところに行く。好きな人にあう。」ということを、日々の中でごくごく自然にしている人達の中で、自分の立ち位置を素直に楽しみたいって思う。