いらっしゃいませ、
とうとう封を開けなかったWowow番組ガイド4月号。昔は、びっちり読んで、ラインマーカで印をつけて、ビデオを録ってってまめにやってたなぁ。そうこうしていると5月号がやってきて、今度はちゃんと封を開けてみると、全仏オープンの開幕!が目に飛び込んでくる。ああ、またやってくる、私が不在のローラン・ギャロで。
プロジェクトは3月で完了のはずがずれ込んでいて行けるわけもない。まあでも今年は「Road To Hawaii」の年だからいいのだ。ローラン・ギャロはずっとあるのだから。
で、昨日は赤土の上で、テニス。膝がピキピキして痛くなったけど、日に日に上手くなる小学生のボクと試合をしたりもして、しゃかりきに動かずに楽しむ。昔はほんとに意地になってボール打ってたけど、最近は体のことも考えて、無理せずやってたら、リラックスした状態で打ててる。省エネテニスか。
そのあと、空堀を久々に訪ねて、「セバ」のチーズのガレージセールで珍しいチーズ(バジル入りゴーダチーズや唐辛子入りナチュラルチーズ、特上のパルメジャーノのすりおろしなど)を買って、雑貨屋さんやアンチーク家具屋さんなどを冷やかして家路へ。
晩御飯は、「ナスとひき肉のトマトソース リングイーネ」を作った。おいしかったのだけれど、ひとりだったから「おいしい」って自分に言ってあげた。
去年の今頃はリスボンだったなあ。今リスボン→ファーロに行っている人がいて、日記を読んで楽しんでいる。旅日記ではなく、普通のおしゃべり風なのがいい。
さて、明日は仕事。別にいやではない。電話もいきなり人が駆け寄ってくることもなく、集中して仕事が出来るはず。土日に仕事をしている人が多いうちの事務所(私の職種としては邪魔なのであるが)、なんだか気持ちがわかるようになってきた。
ところで、藪ってどうしてるんだろ?
いらっしゃいませ、
サミットは大阪に来ることはなく、ホッと胸をなでおろす。前回の大阪サミットのときのめんどくささを勤務地(大阪市内)で体験した身としては。ええやん、「世界陸上」だけで。
で、世界陸上のスケジュール表を見て、おっとびっくり。
http://www.osaka2007.jp/timetable/index_j.html
大会は8月25日から。で、しょっぱなのプログラムが、「男子マラソン決勝」。開会式の前。
「決勝」っていう表記に違和感は感じるものの(まあ、国内の選考会が予選なのね)、いきなりか。普通は最後か、中間の週末なのだけれど、世界陸上って1週間しかないから。ラストを彩るのは、女子マラソン。まあね、日本でやるのだから、そうでしょうね。
お、って思ったのが、スタート時刻なのだ。午前7:00。いいのか・・・
ホノルルマラソンの出発は午前5:00だが、8月の大阪を侮ってはいけない、12月のホノルルよりおそらく暑い。個人的には5:00スタート設定にしてあげてもよいと思うのだけれど、知り合いが走るホノルルマラソンと違って、一流選手が集うわけだから、テレビの放映時間とかいろいろあるのだろう。まあ、8月25日の7:00-9:00過ぎにいたる大阪の暑さを制したものが本当の世界一なのでしょう。なんて。
で、「観に行く?何の競技がいい?」って訊かれたのだけれど、んー、特に陸上競技ファンというわけではないので、今ひとつぴんとこない。9月1日(土)の、「男子十種競技」あたりだと、ずーっと同じ人たちが、いろんなことをやるわけだから、それなりのドラマが長時間楽しめてよいのかもしれない。
でも、多分9月1日も暑いよ。
そんでもって、また織田裕二らしいよ。暑苦しい…
いらっしゃいませ、
詞をいくつか書いていて、ということを以前のブログに書いていたのだけれど、そのうちの2つに曲がついて、すでに最初の曲に伴奏の音が入り、2つ目は唄が入った。その2曲は、曲・伴奏・唄をいろんな人にお願いしたのだけれど、最後のひとつ(ハワイのコーヒーに関する唄(仮))については、曲も自分で作ろうと思い、今サビのところがだいたいできてる。ウクレレだれか弾いてくれないかなー。
前のブログでそのときも「タイトル」をつけることの難しさについて書いた。写真にタイトルをつけるのもなかなかむずかしい。Nadarで写真を教えていただいていたF先生からも、タイトルについては、十分考えてつけるように言われたものだ。
おもしろかったのが、アマチュア向けのモデル撮影会で撮られた写真のタイトルで割と多いのが、
「オ・ン・ナ」
「マ・ナ・ザ・シ」
とかで、「なんでか知らんけど、中点とか星マーク入れるよる」らしい。カタカナ化もやはり多いとか。
この辺は、年齢層とかあると思うのだが、若い人になると今度は外国語の多様が目立つとか。まあ、曲のタイトルが全部英語っていう、ひとときよく売れてた女性歌手もいたけど(聞くところによると今も売れているらしい)、意味分かってんのかい、って思とった。彼女は「印象をあたえる」という理由だったと思うが、写真について言えば、外国語のタイトルをつけることで、印象とか雰囲気でごまかすことで、かえって写真からの主張が消えてしまう。先生の許容点は、「中学生にわかる英単語まで」だった。
私もタイトルをつけるとき、どうしても英語を使いたくなるときがある。それと匹敵する日本語タイトルがどうにも見つからないとき。そんなときは自分の中で「よし」としている。あと、明らかに特定の外国の写真、というのを前面に押し出すとき、それを見るのがその国に興味を持つ人に限定される場合なんかは、その国の言語を使ったりする。
それから先生は、「無題」というのは極力避けるように、とも言っていた。特に「見る側に自由に感じて欲しいから」という理由によるもの。たしかに、どんな表現でも、送り手のメッセージが受け手に100%届くことはない。100%外の「受け手による新たな解釈」が生まれることも多々ある。けれど、ぽん、と作品だけを投げて「自由に感じろ」という表現者の姿勢には疑問を感じる、というもの。
タイトルがどの程度の力を持つものなのか、さらにタイトルだけで十分なのか、それは個々がそれぞれ方向を見つけていくのかなぁとも思う。表現するものによって、その辺も多種多様なやり方が存在するとも思うし、とても大きくて深くて広い問題。
で、ちっちゃい私の思い出作りなのだけれど、タイトルでやっぱり悩んでいる。まだできていないコーヒーの歌だけは、(仮)タイトルのままにしちゃおうかな、なんて考えてる。